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2012年7月 3日 (火)

「平清盛」を視る(31)

B12070201

平治の乱(1159)の勃発(三条殿の夜討)と信西の死を描く。

今回の大河では、信西を改革者、

優れた民政家としても捉えており、

従来の悪役史観から脱しようとする努力が窺えた。

もとより、筆者の知る限り、初めての試みである。

その点を積極的に評価して、プラスポイントとしよう。

僅かな従者を連れ、からくも大和・田原山中へ逃れる信西。

愚管抄に拠れば、師光(西光)が宋への亡命を勧めたと云う。

これも、当時の情勢や彼の能力、ネットワークからして、

決して、荒唐無稽なことではなかっただろう。

しかし、信西は追い詰められ、力尽きる。

先の悪左府頼長も含め、歴史上「悪役」と云われる人物ほど、

多くの大事な、看過されがちな問題を提起するものだ。

(捨身 二代目CX5) 

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コメント

摂関家の頼長が敗れ、院近臣の多数の信西が排除されたわけですね。信西の子息や周辺の人物は実務的な能力に優れ、後白河院が自分の元で使うようになりますね。

投稿: 振り子 | 2012年7月 3日 (火) 19時11分

意外なことですが、信西本人に関する論考や評伝の類が少なすぎるのでは?一時的にしろ、信西政権ともいえるほどの、実権を振るったのですから。あらためて観ると、興味が尽きない人物です。劇中、民衆に施しをする場面がありましたね。

投稿: kansuke | 2012年7月 4日 (水) 00時41分

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