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2012年8月 2日 (木)

目結紋のこと

B12080101

武藤氏のことで、気になったことがあり、調べていて、

「蒙古襲来絵詞」(14世紀)に行き当たった。

元々は藤原秀郷の流れで、武蔵国が本貫とも。

(そうだとすると、奥州藤原氏や西行の佐藤氏と親族だ)

鎌倉初期に奥州攻めの功で、

出羽国大泉荘(山形県鶴岡市)の地頭職を得たとする。

また、大宰府の小弐職を得、鎮西にも下り、

一族は奥州と九州の二流に分かれた。

鎮西の武藤氏は小弐氏を名乗り、元寇で活躍する。

出羽の武藤氏は大宝寺氏を名乗り、戦国期まで続く。

両氏は同族なので、目結紋という同じ紋を持つ。

その目結紋を、先週末、黒川能の公演で、

振り子さんが、幔幕に観たのが今回の発端である。

そして、筆者が想起したのが「蒙古襲来絵詞」だった。

実は、この場面、2009年11月に東博の特別展で観ている。

文永の役(1247)博多防衛の総大将を務める小弐景資。

緋縅の鎧、手に日輪の扇、黒漆の鎧櫃に腰を下ろす。

後ろの武士たちが掲げる旗に目結紋がある。

四つ目結だが、出羽の武藤氏は六つ目結、

もとはこっちで、代を重ねるにつれて、目結が増えていくのだ。

左上の詞書に

「太宰小弐、三郎左衛門尉 景資 二十九

 むま(馬)具足にせゑ(似絵)

…当時の、彼の乗馬と鎧具足は正確に描きましたの意味…

 其の勢五百余騎」とある。二十九歳、若いね…

ついでながら、その後、出羽の大宝寺氏は絶え、

鎮西の小弐氏は幾多の興亡を経て、筑紫氏に至る。

ひょっとして、故筑紫哲也氏は末裔なのかな?

(捨身 二代目CX5)

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コメント

武藤氏=大宝寺氏は関東から羽州大泉荘の地頭職を与えられて移住し、羽黒山領の土地、権利を侵して行ったようですね。
吾妻鏡に土地横領の記事が出ているらしいです。
その後は羽黒山の別当となり、あの五重塔も大宝寺氏の再建と言われているので、完全に支配下に置いたのではないでしょうか。
羽黒山は修験道の盛んな所で、黒川能、春日神社が武藤氏の家紋を伝えているのは、王祇様が羽黒山修験道の流れを汲んでいるのではないかと思いました。

投稿: 振り子 | 2012年8月 2日 (木) 21時04分

室町期の大宝寺氏は、代々、京の足利将軍家と親しくており、偏き(名前の一字を貰う)を受けたり、陸奥守の官職も世話してもらっています。度々上洛しているので、黒川に京の能役者を連れてきたのではないかという説があるのです。
考えられなくもないけど、私には疑問がありますね。
もっと、遍歴する宗教者(羽黒修験を含む)や芸能民(能役者)道々の輩の線を考えるべきかと。黒川集落の成り立ち、新山明神、四箇所宮の正体(氏神か?)も鍵になるでしょうね。春日は後つけかも…

投稿: kansuke | 2012年8月 3日 (金) 00時53分

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