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2012年9月10日 (月)

「平清盛」を視る(43)

B12090901

中世人にとって、人生の上がりの理想型とは、出家、入道であろう。

だから、その姿は、出来うる限り、様になっていなければならない。

つまり、入道姿は常にカッコよくである。

そんなわけだか知らぬが、歴代の大河主人公は、

地毛を剃って、入道姿に臨む例が多かった。

もとより、その方が断然違和感がない。

今回もそうなったようだ。プラスポイントとしよう。

ついでながら、この頃、入道姿に魅かれるようになってしまった。

これって、今の世が中世世界と同じように、末である証しなのかも。

(捨身 二代目CX5)

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歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

そっちへ行ってしまいますか。出家や入道は、仏教的な意味以外に、日本人の古い心性に根ざしているものがあると思っています。縄文かも?810写真展へまた来てください。もうひとつ。第9回「越中八尾おわら風の舞 in 八王子」が2012年9月15日(土)開催 http://t.co/odScBVjb

投稿: 振り子 | 2012年9月10日 (月) 12時41分

どちらかと言えば、そっちへ往くというより、西へ、東へ往く西行の心地が望ましいかと… 生まれ変わり、再生、往生への準備とも申しますが、何れも途遠しですなぁ。週末連休中に参る所存なのですが、何分病院で参籠状態でして、其の当日にご連絡しようかと思います。

投稿: kansuke | 2012年9月11日 (火) 00時00分

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