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2012年10月31日 (水)

中世山城のイメージ(4)

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山城を建設(普請)中の珍しい場面だ(真如堂縁起絵巻 15C より)

中世世界では、普通の人々が勝手に、

土木工事を行うことが出来なかった。

陰陽道で、季節によって土を触ると、「土公神」が祟るとされたのだ。

祟りを免れるのは、宗教者(僧、陰陽師=声聞師、山伏、神人)

と、乞食、河原者たちだけだった。

(結界のような、強い宗教性を感じるのも、其の辺りからだろう)

領主は、河原者から編成された「黒鍬衆/者」と呼ばれる、

専門家集団に依拠して、城普請を行うようになる。

後北条氏は、足軽と同様、常備の工兵部隊としていたらしい。

普通の領民は、農作業もあるし、動員するには制約が多いのだ。

さて、完成した山城だが、あくまでも、戦時の、

臨時の(非日常で、異な)構造物でなければならなかった。

初期の山城は、日常の領主居所と厳密に別けられ、

「詰城」(つめのしろ)と云って、戦時に籠る仮屋だった。

だから、戦が終わり、必要でなくなれば(領主の移動交代も含め)

原則的に、跡形も無く破却されたのである。

(ある意味で、山城は忌むべきものだったかもしれない)

是が、中世山城、本来の「価値観」であろう。

しかし、戦乱が常態化するに至って、山城が殆ど常設となり、

領主居所はもとより、街道、宿、市も取り込まれて、

姿を誇示するかのように、より便利な平地へ移っていく。

やがて、安土城が現れ、

近世城郭は、全く違う「価値観」を持つようになったわけだ。

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(捨身 二代目CX5)

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コメント

残っている中世山城ってないのですか。
自分の田舎の三浦氏高田城も早くから消滅しました。
太鼓山の頂上の山城だったのですが、中世には山陰から攻めてくる尼子との攻防がありました。
近世には山城は跡形なくなくなって、ほとんど平地の三の丸で藩の政務が行われていました。
河岸段丘の上に侍屋敷、武家屋敷、川沿いに町人の町屋の区域と整然と区切られ、出雲街道、高瀬舟の往来する旭川というふうに非常にコンパクトな分かりやすい構造です。

投稿: 振り子 | 2012年10月31日 (水) 22時36分

辛うじて、土塁や空堀の痕跡が残る程度です(八王子城は極めて例外的ですが) 構造物のほうは残っておりません。史料面でも、極端に少ないでしょう。やっと見つけた絵画史料ですが、何処か他にあれば教えて欲しいくらいです。そんなことから、ひょっとして、恣意的に破却されたのではと想うようになりました。そんな仮定に立つと、いろいろと納得がいくことが出てきた感じです。現在、我々が観る「近世城郭」とは、全く違う概念があったのですね。

投稿: kansuke | 2012年11月 1日 (木) 18時54分

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