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2012年10月23日 (火)

「平清盛」を視る(50)

B12102201

例によって、頼朝と北条政子の物語である。

政子を、気性の激しい、今で云うところの「悪女」に描く、

ステレオタイプな演出は、もう、飽き飽きしているのだけど、

今回はそれに「ひょうきんさ」が加わったのが、新機軸か。

「髭切」を「爪切」だなんてね。

昔から、政子のイメージには、吾妻鏡の影響が大きかっただろう。

確かに、吾妻鏡は無視出来ない。でも、扱いに慎重さが要る。

初代将軍の御台所、しかも二代、三代将軍の生母…

中世世界で、彼女の力が絶大だったのは疑えないが、

一方で、生身の中世女性としての、実像も知りたいわけだ。

黒田日出男氏の「源頼朝の真像」に興味深い指摘があった。

かつて、信濃善光寺に頼朝、頼家、実朝、三人の坐像があった。

現在、甲斐善光寺に頼朝、実朝、二像のみが伝わる。

政子と頼朝が、熱心に善光寺に帰依していたことと、

(中世から今に至る、女性の善光寺信仰には注目の要あり)

夫頼朝、二人の息子、頼家、実朝の不慮の死…

晩年の政子が、この三像を念入りに造らせ、

善光寺に安置した経緯を、綿密な考証で推理している。

また、その辺に、彼女の悲嘆の大きさも想いやれるとするのだ。

最近では、最も頷ける仮説だと思う。

ところで、今回の政子役、おなじみ大河常連の、

渡辺謙の娘だとは知らなかった。

もとより、この手の情報には、めっきり弱いので…

(捨身 二代目CX5)

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