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2012年10月24日 (水)

「平清盛」を視る(51)

B12102202

保元・平治の乱のように、鹿ケ谷事件の描き方も丁寧だ。

発端になったのは、治承元年(1177)四月に起きた、

加賀国白山社末寺、鵜川寺での国司(西光の子、師高)と、

寺側との乱闘事件である。

平家物語(百二十句本)の当該箇所を読み直してみた。

…(故信西入道には、師光、成景という者が仕えていた。

  もとより、氏素性の卑しい者たちだったが、

  気が利くので取り立てられた。信西の死後は出家して、

  西光、西景と名乗り、後白河院の財政責任者になっている)

…その西光の子が師高である。これも相当な切れ者で、

 検非違使尉まで昇進し、加賀守になったが、任期中は、

 強引に同国内の寺社、権門勢家の荘園を没収して廻って、

 散々な有様であった。弟の師経が目代として、赴任すると、

 国府近くの鵜川という山寺で、寺僧たちが入浴していたところへ、

 押し入り、自分は入浴し、下人たちに馬の湯浴みなどさせた。

 寺僧たちは怒って「昔から、当寺に国府の役人が入ることは、

 禁じられている。先例に則って、すぐに狼藉を止めさせよ」と叫ぶ。

 師経も、「先々代の目代は弱腰だったから、馬鹿にされたのだ。

 当目代はそうではないぞ」と応酬、殴り合いが始まって、

 師経が大事にしていた馬の足を折られてしまう。

 それからは、武器を取って戦う事態になった。

 師経は敵わないと思ったのか、退いて、国府の軍兵数千を召集、

 鵜川寺に攻め寄せ、僧房を一宇残らず焼き払ってしまった…

 (巻第一・第八句 成親大将謀反 師経狼藉より)

ドラマでは、後白河院近臣の西光親子を陥れるため、

清盛が仕組んだことになってるけれど、直ぐ後の、

鹿ケ谷の謀議、自体のほうが怪しいのは、既述の通りだ。

(捨身 二代目CX5)

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