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2012年10月16日 (火)

八王子城へ登る(6)

B12101501

頂上直下、八王子権現社への石段を登る。

此処まで来れば、後一息だ。

B12101502

現在の八王子権現社。

平安中期、延喜年間に修験者が開いたとする。

もとより、比叡山の八王子権現に倣ったものだ。

比叡山鎮守の日枝山王権現社には、神体山の八王子山がある。

こちらも、同様の意味がこめられていると想う。

諸国の修験者が集まる、修験道場だったようだ。

城主・北条氏照も、彼らから、軍事上の要害、宗教上の、

聖地、勝地として、此の山の情報を聞いていたはずである。

天正12年頃(1584)より、本格的に山城が築かれ始め、

関東第一の名城と謳われるようになるが、

まだ、完成しないうちに、秀吉の小田原攻めに遭って、

僅か半日で落城(天正18年=1590 6月23日)する。

当時、氏照は精兵を率いて小田原本城に在り、

山城に籠ったのは、小勢の留守部隊、妻子、老人たち、

僧侶、修験者、領民、宿の道々の輩、凡そ三千ばかりだった。

B12101503

山頂部に井戸が残る。

往時、山城の貴重な飲用水だったはずだ。

こういった「水の手」の存在も、修験者からの情報だろう。

今はポンプになっており、一応、水は出る(飲用不可)

B12101504

山頂曲輪に辿り着く(460m) 八王子城の中枢部である。

山頂部には幾つかの主要な曲輪があり、落城時には、

激戦が繰り広げられた。

守備していた城方の、殆どの者が討ち死にしている。

寄せ手側の記録によると、討ち取った者千余り、

秀吉の命で、其の首どもと、捕らえた者(多くは妻子たち)を、

包囲中の小田原城下へ送り、晒したということだ。

一方、籠城中の北条側は、著しく戦意を削がれ、

同年7月6日、ついに開城に至る。

(捨身 二代目CX5)

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