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2012年11月24日 (土)

鉢形城へ(3)

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八王子城主・北条氏照と、鉢形城主・北条氏邦は、

同母四人兄弟のうち、二番目と三番目で、一歳違いだった。

(天正十八年の時点で、51歳と50歳)

一番上は北条家四代目当主・氏政(53歳)、

四番目は韮山城主・氏規(46歳)

母親は三代目氏康の正室、駿河今川家の出だ。

(彼女の母親は、あの寿桂尼で、今川義元とは同母兄妹)

秀吉の小田原攻めで、生き残ったのは氏邦と氏規である。

(氏政と氏照は、秀吉から切腹を命じられた)

氏邦は加賀前田家に禄を得て、子孫は紀州徳川家中へ、

氏規は河内狭山藩一万石の租となり、明治維新まで続く。

この北条四人兄弟、それぞれの運命が実に興味深い。

特に氏規は、今川家の祖母・寿桂尼のもとで人質として育ち、

同じ人質同士の家康と親交があったと云われる。

後に、秀吉との和平を主張して交渉に当ったり、

韮山城で四ヶ月も籠城して奮戦するなど、有能だった。

家康の説得で降伏するが、氏政、氏照らと掛け合って、

小田原開城にも貢献した。

しかし、小田原北条記によると、兄たちの切腹に際し、

介錯を命じられるという辛酸を舐めている。

(捨身 Canon S100)

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