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2012年12月16日 (日)

当麻宿幻想(8)

B12121501

無量光寺の北西側、墓域を出た辺りに、市場と云う小字が残る。

右手に見える、「市場」バス停の崖上が墓域で、

県道の左側に、市場集落が展開している。

B12121502

市場集落を南北に抜ける、古道と想われる、緩やかな坂道。

市は坂の上、相模川東岸崖線上にあったのか。

小田原北条氏は、六斎市(月六回)と認め、管理を任された、

当麻三人衆の関山氏が、座銭等々を徴収していたようだ。

関山氏は、当麻宿全体を取り仕切り、その苗字の如く、

関守り(関所)渡し守り(渡し場)を務め、関銭(通行税)の、

徴収権も持っていたと考えられる。

宿の「有徳人」(富裕者)として、羽振りが良かったはずだ。

でも、上納先に、北条氏と並んで、無量光寺の存在があった。

戦国期には、かなりの大寺に発展し、此処の時衆は、

僧兵のように武装していたらしい。

関山氏も、阿弥号を持った時衆の一員だったかもしれぬ。

B12121503

坂上に鎮座する天満宮。社は南面するが、

参道は、古道から直接伸びている。

元は山王権現社で、牛頭天王を祀ったこともあったようだ。

疫病神を防ぐ、中世世界の都市的な場には欠かせない装置だ。

あるいは、市の神だった可能性もあろう(摩多羅神の影も)

B12121504

集落には鍛冶坂と呼ぶ坂道があり、大きな旧家が目につく。

やはり、市跡を想起させるような、独特な風情が漂う。

(捨身 二代目CX5)

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