平家は都を落ちはてぬ
平家物語の、巻第七・第七十句 「平家一門都落ち」は、
繰り返し読むことが多い段の一つだ。
今年、拙ブログにかなりアップした、
「春日権現験記絵巻」(14C初)の中に、
平家都落ちの場面が出てくる。春日大明神の神慮に拠り、
平家と縁が深かった摂政・基通が、行列から抜けるところを描く。
騎馬集団の先頭、鞭で行き先を指し示しているのが、
棟梁・宗盛であろう。
同様に、後白河院も、いち早く叡山へ逃れてしまっていた。
二人を拉致し、西国へ赴こうとした、宗盛、重衝らの目論みは外れ、
一門の重鎮、頼盛父子さえ、離反していく。
…寿永二年(1183)七月二十五日、平家は都を落ちはてぬ…
と、一気に気持ちを断ち切るように終わる、結びの一行が好きだ。
(捨身 Canon S100)
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