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2013年1月17日 (木)

寛政文化年間の品川宿(1)

B13011601

五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)

分間延絵図(重文)は、幕府が沿道の実態を把握するために、

寛政12(1800)年から、文化3(1806)年にかけて、作成させた。

現在、東博が所蔵していて、時々公開されるのだが、

これが結構面白い。

年初に、東海道の巻一、品川宿の段を観ることが出来た。

品川宿は、中世の品川津から続く、都市的な場であり、

既に、拙ブログでも探索を試みて居るところだ。

上は、現在の南品川、青物横丁辺りの東海道沿道を描く。

妙国寺と品川寺の間で分岐するのは、

池上本門寺へ向かう道で、少し入った角に番屋がある。

こういった書き込みは、施政上必要な情報なのだろう。

人家も疎らとなった坂上(今の仙台坂か?)右側に、

「非人小屋」(下・部分)が見える。

B13011602

(捨身 二代目CX5)

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歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

切り絵図を調べたら青物横町の先に「品川溜」として描かれていました。荻生徂徠の「政談」の現代語訳が講談社学術文庫で出ていて、遊女と河原ものならびに乞食の取り締まりについてという項目がありました。弾左衛門、車善七のことを普通に取り上げているので驚きました。10ページくらい書いてあります。この間の会で靴を間違えられたという人がいて、掲示板で大騒ぎになっています。間違えていらっしゃいませんか。

投稿: 振り子 | 2013年1月17日 (木) 22時11分

幸いなことに、それほど酩酊しておりませんでした。私ではないです。

五街道分間延絵図には、沿道宿々の非人小屋、寄場等々が相当数記載されているようです。施政上、何らかの必要性があって、その手の情報が集められた感じがします。

投稿: kansuke | 2013年1月17日 (木) 23時35分

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