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2013年3月10日 (日)

横山党幻影(2)

B13030802

横山党系図と云うのは、鎌倉期以降は参考になるものの、

始祖を語るところでは、あまり当てにならないのではないか。

承平三年(933)古代より続いた「小野牧」が勅旨牧に変わって、

その別当職に、散位小野諸興が任じられたとする、

記録のほうが頷ける。出自がどうであれ、彼らは馬飼いであった。

小野辺りは、多摩丘陵の谷戸谷戸から流れ出た小河川が、

大栗川に集まり、多摩川へ注ぐ、なだらかな渓谷の入り口を、

形成しており、柵や土塁で谷を仕切って、

容易に放牧地を造れそうな地形なのだ。

多摩の横山とは、万葉集にも歌われたように、多摩川西岸の、

この丘陵状の山塊を謂ったものだろう。

しかし、平安後期、此処に摂関領「船木田荘」(横山荘とも)が、

立てられるに及んで、馬飼いは廃れ、

丘陵の森林を利用した船材の生産が盛んになっていったようだ。

船材は多摩川を使って、江戸湾、品川津へ流される。

小野氏も荘園経営に関わり、本拠をより平地の、

今の元横山町辺りに移し、前後して、

横山氏を名乗るようになったのではと、勝手に想像する。

(捨身 二代目CX5)

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