« 横山党幻影(4) | トップページ | 横山党幻影(6) »

2013年3月14日 (木)

横山党幻影(5)

B13031303

今、立っている処の字名は「館町」(たてまち)だが、

湯殿川の下流方向に、望まれる郷は、

「小比企」(こびき=木挽)と呼ばれた。

船木田荘の木材切り出しと、製材が行われていたと想われる。

中世の林業の様子を描いた史料を掲げる(石山寺縁起14C)

B13031301

杣人(そまびと)と云う職人集団は、

木材の伐採、間伐、下草刈り、製材に従事した。

中世から近世にかけて、多摩の横山は、

大消費地の江戸を控え、有力な材木生産地になっていった。

その頃には、多摩丘陵に自然林は無くなり、

植林された、人工の二次林が覆っていたはずだ。

既に、現在の景観の祖形が出来上がっていたのだろう。

B13031302

製材した用材は、河川を利用して運搬した(一遍聖絵13C)

「筏師」たちは腰に綱を付け、川中、あるいは岸から、

筏を引っ張る(下流へは、堰を作って一気に流せばよい)

川の深さは踝程度だが、十分なようだ。

筏を引く際に穿った、綱通しの穴が開いている、

中世の建築用材が見つかることもある。

(捨身 二代目CX5)

|

« 横山党幻影(4) | トップページ | 横山党幻影(6) »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 横山党幻影(4) | トップページ | 横山党幻影(6) »