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2013年4月23日 (火)

藤沢・遊行寺へ(10)

B13042101

遊行寺にも、鎮守=諏訪社が現存する。

東門を出て、旧東海道・遊行寺坂(現県道30号)を渡ったところだ。

明治の神仏分離で、今は遊行寺と別法人になっている。

B13042102

石段を登って、遊行寺側の東門を望む。

ちょうど、県道で分断されたかたちになっているが、

もとより、明治以前は、同じ結界の内だった。

しかし、江戸期の東海道分限延絵図でも、同様に東海道で、

分断されているのである。しかも、遊行寺側には、

堅固な石垣を伴った見附が設置されいる。

やはり、遊行寺を取り込むように、

東海道が建設されたのではないだろうか。

遊行寺の寺域全体が、防御施設のようにも観える。

これには、徳川家の意向があったと想う。

当麻宿・無量光寺には、徳川家遠祖を称する、源氏・新田流の、

世良田有親、松平親氏父子の五輪塔が在ったし、

遊行寺にも、上杉禅秀の乱で討たれた、

若松(新田氏を自称)満純が葬られている。

時宗と徳川家は、ある意味、菩提寺に準じた、

関係があったのではないかと想われるのだ。

江戸守護に、先祖墓所の、霊力を借りる発想は、

日光、久能山、増上寺に窺える通りだろう。

B13042103

諏訪社の本殿。当麻では、一遍が出た、河野(越智)氏の氏神に、

由来とする、三嶋社が鎮守だった。

遊行寺開山の、呑海は大庭氏の一族、俣野氏の出身と伝える。

坂東平氏の系統だが、残念ながら、諏訪社との関りは判らない。

(捨身 二代目CX5)

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