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2013年4月17日 (水)

藤沢・遊行寺へ(6)

B13041601

遊行寺の境内も、石造物は多いのだが、

よく観ると、中世に遡るものは少なく、殆どが近世初頭以降に下る。

この寺が中世後期に蒙った兵火の影響かと想われる。

経緯については、後ほど触れよう。

B13041504

そんな中にあって、唯一であろう、中世石造物がこれだ。

「敵御方供養塔」と云い、東門、入って直ぐ左側に立っている。

応永23~24年(1416~17) 鎌倉周辺で戦われた、

「上杉禅秀の乱」の三周忌にあたり、

討死した敵味方の武士、馬などを供養した石塔婆で、

建立の施主は、一方の将、鎌倉公方足利持氏、

供養の導師は、遊行十四代太空上人(この人物も後ほど)である。

以下、銘文の読み下しを引用する。

…南無阿弥陀佛

 応永廿三年十月六日より兵乱、同廿四年に至る。

 在々所々に於て敵御方箭刀水火の為に落命の人畜亡魂、

 皆悉く往生浄土の為の故也。

 此塔婆の前を過る僧俗十念あるべき也。

 応永廿五年十月六日…

出陣する武士に従って、戦場で敵味方の区別なく、

負傷者の看護や、戦死者の葬送に従事する、

「陣僧」を務めた、時衆ならではの遺物だろう。

実際、遊行寺には、多くの戦死者が葬られたようだ。

(捨身 二代目CX5)

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