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2013年4月の記事

2013年4月30日 (火)

片瀬の浜にて(2)

B13042901

再び、藤沢市内の海側、片瀬の浜に戻ろう。

此の界隈に魅かれたのは、中世鎌倉の西の境界地で、

それに相応しい、様々な事件が起きた現場だからである。

今は、住宅地路地裏の、小公園になってしまったが、

一遍の足跡が印されている。

弘安五年(1282)三月一日、鎌倉入りを阻まれた一遍一行は、

数日間、鎌倉周辺の山中を彷徨う。しかし、北条一門の中に、

一遍の信奉者がいて、食事や宿所の面倒を見たらしい。

一説に、実は、一遍らは鎌倉内に入っていたのではないかと、

云うが判らない。

既に、別の念仏聖「一向」(=いっこう 興味深い存在だ)が、

…一遍と同年代で、主に東国をベースに、諸国を遊行し、

  踊り念仏を勧めた。一遍とは面識は無かったらしい。

  後に、時宗の一分派、一向派を立てる。近年まで、

  実在が疑われていたが、発掘資料で確認された…

鎌倉内に拠点を持っていたので、競合を避けたと云う説もある。

三月六日、一遍一行は片瀬の浜に現れ、「浜の地蔵堂」にて、

踊り念仏を挙行する。以下、一遍聖絵の場面を掲げる。

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集まっている聴衆の中に、数人の供侍を従えた、白狩衣で僧形の、

上級武士らしき男がいる。ひょっとしたら、北条一門か。

輿や牛車も、上流階級の支援者を暗示しているようだ。

右下の乞食小屋は、境界地ならではの光景だろう。

ついでながら、この画面全体の左側が、

不自然に切れていることのが指摘されている。

一遍聖絵の謎の一つで、その経緯は明日にでも…

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月29日 (月)

藤沢・遊行寺へ(14)

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さて、あっという間に、桜も終わり、

既に、新緑と薫風の候に入って居る。

一先ず、今回で、遊行寺の項をしめて、

八重桜のトンネルを潜って、「現世」へ戻るとしようか。

境川の謎と、説経節「をぐり」の異伝については、

「片瀬の浜」と、「をぐりを読む」稿にて、改めて触れよう。

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(捨身 二代目CX5)

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2013年4月28日 (日)

藤沢・遊行寺へ(13)

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こぢんまりとはしてるけど、然も作り物めいた庭である。

勿論、照手姫の墓も在った。

寺伝では、晩年の照手姫は、遊行寺の太空上人のもとで出家、

「長生尼」と名乗り、小栗や家臣たちの菩提を弔いながら、

此処で余生を送ったことになっている。

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小栗判官の墓の左右には、十人の家臣の墓まで揃う。

一連の宝きょう印塔は、そこそこの古色を帯びるが、

中世迄は遡るまい。せいぜい、江戸前期ではないか。

それでも、当地を含む、大山、江ノ島、鎌倉、金沢八景は、

手形無しで往ける、人気観光エリアだったから、

このようなスポットが、大いに受けたことは、想像に難くない。

「あの説経節の」と、江戸で土産話に花が咲いたことだろう。

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さらに、念の入ったことに、あの人食い馬、鬼鹿毛の墓も付く。

まぁ、この辺は目くじら立てずに、

江戸人の、物見遊山の旅に、想いを馳せるとしよう。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月27日 (土)

藤沢・遊行寺へ(12)

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さて、遊行寺の最奥部、「小栗堂」と称する長生院のことである。

太空上人が永享元年(1429)に、閻魔堂を塔頭に改めたと云う。

この経緯が、説経節「をぐり」と関わってくるわけで、

謂うまでも無く、遊行寺は、重要な舞台の一つなのであった。

ただ、此処に伝わる「物語」は、説経節とは一寸異なる。

その辺りは、後述するとして、境内を探索してみよう。

本堂脇の壁面に、解説版が貼り付けてあった。

末枯れた風情が、何んとも、時宗寺院らしくて、微笑ましい。

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本堂裏の小庭園へ廻る。

なんと、小栗判官の墓所が存在した。

恰も、説経節「をぐり」のテーマパークを呈してきた観が…

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(捨身 二代目CX5)

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2013年4月26日 (金)

日々の写真 4/25

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ほぼ一年ぶりに、武蔵府中で降りる。

大國魂神社参道(けやき並木通り)昭和レトロ食堂にて、

今年の、冷し中華食べ始めを印す。

未だ四月であるから、最速の記録かもしれぬ。

此の春、万事早回しなるは、斯くの如し…

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月25日 (木)

藤沢・遊行寺へ(11)

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広重描く、東海道五十三次の藤沢宿は、境川に架かる、

大鋸橋(遊行橋)から、遊行寺(後方丘上)を望む構図になっている。

位置関係は、比較的正確に写しているようだ。

手前に立つのは、江ノ島の一の鳥居で、江戸方向から来て、

橋を渡って左へ往けば、江ノ島の参詣道である。

右へ往けば、藤沢宿の本宿(本町)に入っていく。

橋の手前、遊行寺坂下には、大船道と鎌倉道の分岐があり、

本宿を一寸先へ往ったところには、大山道への分岐もある。

もう、お判りだろうが、此処は、大山参り、江ノ島参り、

鎌倉見物、さらには、金沢八景(六浦)見物と云った、

江戸期に流行った、観光スポットの十字路なのである。

江戸に近く、路も、宿も整い、全ての名所がコンパクトに、

纏まっていて、観光地としては理想的だったと想う。

もとより、遊行寺もその中に含まれていたわけだ。

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藤沢本町の旧東海道沿いには、

往時を偲ばせる町屋が、僅かながら残る。

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(捨身 二代目CX5)

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2013年4月23日 (火)

藤沢・遊行寺へ(10)

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遊行寺にも、鎮守=諏訪社が現存する。

東門を出て、旧東海道・遊行寺坂(現県道30号)を渡ったところだ。

明治の神仏分離で、今は遊行寺と別法人になっている。

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石段を登って、遊行寺側の東門を望む。

ちょうど、県道で分断されたかたちになっているが、

もとより、明治以前は、同じ結界の内だった。

しかし、江戸期の東海道分限延絵図でも、同様に東海道で、

分断されているのである。しかも、遊行寺側には、

堅固な石垣を伴った見附が設置されいる。

やはり、遊行寺を取り込むように、

東海道が建設されたのではないだろうか。

遊行寺の寺域全体が、防御施設のようにも観える。

これには、徳川家の意向があったと想う。

当麻宿・無量光寺には、徳川家遠祖を称する、源氏・新田流の、

世良田有親、松平親氏父子の五輪塔が在ったし、

遊行寺にも、上杉禅秀の乱で討たれた、

若松(新田氏を自称)満純が葬られている。

時宗と徳川家は、ある意味、菩提寺に準じた、

関係があったのではないかと想われるのだ。

江戸守護に、先祖墓所の、霊力を借りる発想は、

日光、久能山、増上寺に窺える通りだろう。

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諏訪社の本殿。当麻では、一遍が出た、河野(越智)氏の氏神に、

由来とする、三嶋社が鎮守だった。

遊行寺開山の、呑海は大庭氏の一族、俣野氏の出身と伝える。

坂東平氏の系統だが、残念ながら、諏訪社との関りは判らない。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月21日 (日)

藤沢・遊行寺へ(9)

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藤沢・遊行寺は、今でこそ、

時宗総本山と云うことになっているのだが、

その経緯は、一寸、複雑なので、此処で簡単に触れておく。

もとより、宗祖・一遍は、入寂にあたり、教団設立と寺院建立を、

一切拒否していた。だから、現存の時宗寺院と直接の関係は無い。

だが、一遍の死によって、混乱した弟子、信徒たちの状況を、

収拾するために、他阿・真教が教団を創始する。

指導者となる上人は、現役中は諸国を遊行するが、引退すると、

隠居所として寺を建立して住し(=「独住」後に「藤沢上人」とも)

次の指導者=「遊行上人」を指名する制度もそうだ。

当麻宿の無量光寺(以下当麻)は、真教の隠居所であった。

しかし、時を経ず、三代目遊行上人の指名を巡って内紛が起きる。

当麻を継いで、独住した真光と、分派して、遊行を続け、

藤沢に隠居所を建立した呑海とである。

当初、北条得宗家の支援を受けた当麻が圧倒的に優勢だったが、

鎌倉滅亡ともに、衰退を余儀なくされ、今度は鎌倉公方・足利氏の、

支持を得た、藤沢・遊行寺(以下藤沢)が隆盛を誇るようになった。

室町中期に至り、享徳の乱で、鎌倉公方が古河へ落去、

伊勢宗瑞(早雲)との対立で、藤沢は全山焼亡と、

戦国期のほぼ百年間は、小田原北条氏側に立った、

当麻が、一時、勢いを取り戻す。

戦国も治まった天正、慶長期、豊臣・徳川の支援を受けることに、

成功した藤沢は、ようやく寺域を再興、江戸期には、

徳川家の保護もあり、時宗総本山の地位を確立した。

筋からすれば、当麻のほうが古く、本山と謂えるわけなのだが、

その辺に関わる、「本末(本山と末寺)争い」は、

近世、近代を通じて頻発していたようだ。

時宗は、本来は「時衆」なのであって、

(時宗と称したのが確認出来るのは江戸初期以降だ)

教団としての結束は緩く、「時宗十二派」と云われるくらいに、

分派活動に力があったとされる。

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(捨身 二代目CX5)

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2013年4月20日 (土)

藤沢・遊行寺へ(8)

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本堂背後の坂は、墓域の中を抜けて往く。

途中で、本堂の方を振り返って観る。

此処は、境川段丘の斜面をやや登ったところ、

やはり、「勝地」と謂ってよい地形だろう。

墓で思い出したけど、

参道で、銘菓「遊行寺」を作っている和菓子店は、

寺の御用を務めているが、檀家さんではないのだそうだ。

市内の同業者でも、塔頭(子院)の檀家が一軒あるだけで、

総じて、地元では、遊行寺直系の檀家は少ないらしい。

殆どが各地からの信徒、参拝者で占められているようだ。

その辺は、当麻宿の無量光寺(地元の方の墓参が多かった)

と対照的か。

探索中も、タクシーで乗り付ける礼服姿の来訪者が目立った。

B13041901

さて、目指すのは、

現存三子院(塔頭)のうち、最奥にある長生院、

所謂、「小栗堂」である。

やっと、辿り着いたみたいだ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月19日 (金)

藤沢・遊行寺へ(7)

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東門と敵御方供養塔を背景にして、

ああ、此処も湘南なんだなと、想い至る風景哉。

でも、藤沢は、近世東海道の繁華な宿場にして、

元々は、時宗総本山・遊行寺の門前町なのである。

そのせいか、前々から、此の町に、どこか信州の善光寺にも似た、

微かだが、好ましい匂いを感じていたのだった。

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それ程の歴史なのに、

遊行寺に纏わるグッズ類は皆無に近いのだけれど、

門前へ続く道の、小さな和菓子店で見つけたのが、

金柑の砂糖煮を入れた、黄身白餡の桃山饅頭だ。

遊行寺の御用達で作られていると云う。

結構、洒落た味わいなので、お勧め出来る。

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さて、境内のさらに奥へ、歩を進めるとしよう。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月18日 (木)

片瀬浜の浜にて(1)

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一寸、閑話休題…

藤沢の海岸側、片瀬を探索してきた。

一遍聖絵にも登場する、鎌倉の境界地「片瀬の浜」である。

江ノ電・江ノ島駅界隈なのだが、

通りを電車が走り、路地裏へ廻れば、直ぐ海岸という立地だ。

遊行寺門前の境川も、名を片瀬川と変え、

ご覧のような、堂々とした流れになる。

でも、やはり、街角の方々に立っている、

「海抜2.8m」の表示が気になってしまうな。

…遊行寺のほうは、ちゃんと続きます。念のため…

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月17日 (水)

藤沢・遊行寺へ(6)

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遊行寺の境内も、石造物は多いのだが、

よく観ると、中世に遡るものは少なく、殆どが近世初頭以降に下る。

この寺が中世後期に蒙った兵火の影響かと想われる。

経緯については、後ほど触れよう。

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そんな中にあって、唯一であろう、中世石造物がこれだ。

「敵御方供養塔」と云い、東門、入って直ぐ左側に立っている。

応永23~24年(1416~17) 鎌倉周辺で戦われた、

「上杉禅秀の乱」の三周忌にあたり、

討死した敵味方の武士、馬などを供養した石塔婆で、

建立の施主は、一方の将、鎌倉公方足利持氏、

供養の導師は、遊行十四代太空上人(この人物も後ほど)である。

以下、銘文の読み下しを引用する。

…南無阿弥陀佛

 応永廿三年十月六日より兵乱、同廿四年に至る。

 在々所々に於て敵御方箭刀水火の為に落命の人畜亡魂、

 皆悉く往生浄土の為の故也。

 此塔婆の前を過る僧俗十念あるべき也。

 応永廿五年十月六日…

出陣する武士に従って、戦場で敵味方の区別なく、

負傷者の看護や、戦死者の葬送に従事する、

「陣僧」を務めた、時衆ならではの遺物だろう。

実際、遊行寺には、多くの戦死者が葬られたようだ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月16日 (火)

藤沢・遊行寺へ(5)

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江戸期の繁栄ぶりを示す絵図を掲げる。

中近世を通じて、遊行寺は大伽藍に発展したが、度重なる火災、

戦国期の兵火、天災などで、往時の遺構は殆ど残っていない。

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現在の壮大な本堂も、関東大震災で倒壊した後、

昭和十二年に再建されたものだ。

堂内は自由に参拝出きる。

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上掲の絵図では、右下方に描かれる、寺域の東側、

旧東海道・遊行寺坂(現県道30号線)に面した東口。

堅固な石垣が築かれていたようだ。

東海道分限延絵図でも、遠く江戸を守る、

見附(番所や木戸などの防備施設)の設置が窺える。

「大曲がり」と云われた、門前の大クランクを含め、

近世の東海道は、遊行寺を取り込む形で、

建設された可能性もあるだろう。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月15日 (月)

藤沢・遊行寺へ(4)

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惣門をくぐると、「四十八段」あるいは「いろは坂」と呼ばれる、

緩やかな坂道が続く。

石敷が四十八に区切られていることから、

阿弥陀仏、四十八の本願に因むとも云う。

其れを念じながら、この坂を登るべしと謂うわけだ。

坂の中程まで来て、振り返ってみる。

八重桜のトンネルだった。

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左右に、三つの塔頭が並び、墓域を観ながら進む。

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坂を登りつめたところ。かつての山門跡で、

明治十三年に焼亡するまで、仁王門が建っていた。

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傍らの、告知板に目が往った。

遊行寺では、四月は大切な月で、

春季開山忌(呑海上人=第四代遊行上人 1265~1327)がある。

「踊り念仏」も行われるようだ。現行はどうなっているのだろうか。

一度、観てみたいものだ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月13日 (土)

藤沢・遊行寺へ(3)

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遊行寺境内へ入る前に、一寸門前界隈の探索をこころみる。

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前回触れた、門前を通る旧東海道大クランク(鍵の手)の痕跡。

県道30号線へ繋がる路地角に、辛うじて見出せた。

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傍らに、東海道分限延絵図の場面を示す案内板がある。

「現在地」が上の撮影地点だ。

この大クランクは、当時(享保年間)既にかなり繁華となっていた、

藤沢宿の防火のために、火除け地(ひよけち)としても、設定される。

道幅を広く取ったので、「藤沢(大鋸)広小路」と云う。

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惣門横に榜示石が立つ(古色あり。往時のものか?)

此処より、遊行寺(藤沢山無量光院清浄光寺)寺域結界を示す。

「門前先通道幅四間二尺(約7.8m)」と刻まれている。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月11日 (木)

藤沢・遊行寺へ(2)

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遊行寺門前に至る道は、境川に架かる朱塗り橋を越える。

「遊行寺橋」とあるが、旧名は「大鋸橋」(だいぎりばし)と云う。

並行する、新しい藤沢橋から観る。

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遊行寺のすぐ東側を、旧東海道(現県道30号)が通る。

結構な難所で、正月の箱根駅伝で有名な「遊行寺坂」だ。

今はまっすぐ、藤沢橋を往くが、江戸期には、

遊行寺門前で、大きくクランクして、「大鋸橋」を渡り、

藤沢宿へ入っていた。

お約束どおりの、宿入り口の鍵の手である。

この辺りのかつての景観は、東海道分限延絵図や、

広重の浮世絵にも描かれている。

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さて、ちゃんと「大鋸橋」を渡り直して、

B13041004

遊行寺惣門前に着いた。

現状の大きな冠木門は、当麻宿無量光寺のそれと共通する。

明治期の大火に遭う前は四脚門だったようだ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月 9日 (火)

藤沢・遊行寺へ(1)

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嵐の去った翌朝、藤沢の遊行寺に往ってきた。

JR藤沢駅から、北方内陸へ15分ほど歩いたところだ。

すっかり宅地化した参道、往時を偲ばせる旧家も目につく。

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暫く進むと、河に出会う。境川と云う。

この川は重要な意味を持つので、後ほど詳述せねばならぬ。

対岸に段丘が見えてきた。

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その段丘の、根の部分の微高地に大屋根を認める。

驚くべきことに、当麻宿の無量光寺と、酷似した立地なのだ。

さて、河を渡ることにしよう。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月 8日 (月)

観桜 2013 (3)

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春の嵐が来る前に、和田塚を観てきた。

小学生の時分から、話には聞いていたのだけれど、

訪ねたのは初めてだった。

建保元年元年(1213)五月、横山党一類も関わって滅んだ、

和田合戦の故地と伝える。

河口近くを流れる滑川の風情宜し。

菜の花と、鎌倉の海が眩しかった。

(捨身 二代目CX5)

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2013年4月 7日 (日)

観桜 2013 (2)

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嵐が来る前に、

寓居近くの、多摩の横山を歩いてみた。

遠目には、山肌にアップルグリーンの絵具をのせたように観える、

山桜の、葉桜の色調が好きだ。

陣風、花を散らして、春深まり往く哉。

(捨身 二代目CX5)

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