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2013年5月23日 (木)

瀬戸の明神社(8)

B13052201

再び、江戸期の絵図を観る。

瀬戸橋へのアプローチは、長く伸びた砂洲(実際、洲崎が字名)

のようであり、往時はなかなかの景観を呈してと想われる。

一説に、六浦の津は、松島に似ていたとも云う。

橋手前側の、瀬戸神社(三島明神と標す)の位置は、

変っていないが、社の北側に「薬師堂」と読める。

薬師如来は、三島明神の本地仏とされたから、

同じ境内に祀られたのであろう。

明治期の廃仏毀釈の際には、破却されたと考えられる。

さらに手前「千葉氏」とあるのは、筆頭神職・千葉家の館である。

ついでながら、瀬戸神社の別当寺は、

鎌倉期には在ったと伝わるが、文明十年(1478 享徳の乱か?)

に焼亡し(江戸期は別寺が務めたとも)現存していない。

B13052202

現在の瀬戸橋から、瀬戸神社方向を観る。

この下を、釜利谷奥に発する小河川が流れる。

今でも、結構、潮流があるようだ。

B13052203

瀬戸神社社前の平潟湾。

シーサイドライン八景駅下の松並木は、弁才天を祀った琵琶島だ。

幼少期に「ダボハゼ」を釣った記憶あり。

此処も摂社で、今回の特別展では、

14世紀の弁才天立像が出品されている。

(捨身 S100)

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