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2013年5月の記事

2013年5月29日 (水)

日々の写真 5/28

B13052801

XZ-10を携えて、都心へ出る。

所用を片付けながら、試し撮りをしてみた。

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S100に比べ、レスポンスが早い。

シャッターチャンスに強いカメラのようだ。

他方、細かなメニュー設定に、一寸粗いところがある。

例えば、マニュアルフォーカスが出来なかったり、とかだ。

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途中、冷し中華を食す。

高級店のそれは、あくまでもヘルシー志向哉…

大気湿気孕む。入梅間近か。

(捨身 OLYNPUS XZ-10)

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2013年5月28日 (火)

XZ-10 を導入した

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シンプルで、控えめなスタイリングだけれど、

町探索の友には、好適なカメラかもしれない。

実のところ、オリンパスのカメラを購入するのは、

嬉れし恥かし…小学校低学年時の、

オリンパス・ペンEE以来なのである。

態勢が整ってきたので、今週から、実働させるつもりだ。

最終的には、写真家・田中長徳氏の薦めが、

筆者の背を押したのも付け加えておこう。

(捨身 S100)

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2013年5月27日 (月)

途中下車の愉しみ(2)

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弘明寺門前の商店街は、現在でも、一寸した存在感だけれど、

筆者幼少期の繁盛振りは、大したものだった。

何時往っても、人が溢れていた。

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アーケードの、ちょうど中程に、大岡川の橋が架かる。

その辺りの風情は、あまり変わっていないと想う。

もとより、かなりの店が入れ替わっているはずだが、思い出せない。

B13052603

高校写真部の頃は、こんな店でカメラの物色をしていた。

あの時の、ワクワク感が蘇ってくる。

今回は30分程しか居られなかった。

もっと時間を作って、もう一度来てみよう。

(捨身 S100)

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2013年5月26日 (日)

途中下車の愉しみ(1)

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金沢八景の瀬戸神社を探索した帰り途、京急の快特をやり過して、

逗子発、空港行きの急行に乗ってみた。

停車駅が昔と大分違っている。懐かしい駅名を聞いて、

思わず、途中下車していた。弘明寺(ぐみょうじ)だ。

予定外の途中下車が、吉をもたらすのは、

一昨日の、東村山の如くである。

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必死に、幼少期から高校生頃の記憶を手繰ってみるのだが、

弘明寺山門下の、石段から先は飛んでしまっている。

小学校の友人の家が、この町で製靴店を営んでいた。

彼とは、高校まで、バスケのチームで一緒で、

地元の大学へ進んだまでは判る。どうして居るのだろうか。

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石段上の境内は、想ったより、小ぢんまりとしていた。

この寺の開山は、横浜最古の天平期と云われ、

十一面観音(重文指定で、平安期の鉈彫り仏として有名)

其の応化身であるところの、歓喜天(聖天)が本尊だ。

最寄りに中世古道が通っていたと考えられるから、

往時は、門前に都市的な場も形成したのであろう。

若い寺僧が法螺貝を吹いて、祈祷の時刻を知らせていた。

真言宗高野山派に属しているから、修験道場でもあるわけだ。

(捨身 S100)

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2013年5月24日 (金)

村山道を辿る

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今朝のローカルニュースで、東村山市(最寄り駅・清瀬)の、

国立ハンセン病資料館にて、

「一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者

 ~中世前期の患者への眼差しと処遇~」(~8/11 入場無料)

を開催中であることを知り、駆け足だが、観て来た。

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還りは、久し振りに東村山(国宝・正福寺地蔵堂以来)で降り、

立川へ向かう、古道を辿る路線バスに乗ってみた。

地元では、志木街道、古くは「村山道」と呼ばれた道である。

案の定、車窓からは、古道らしい景観の続出で、

辻の観音堂が目に入るに及び、思わず下車してしまった。

この頃じゃ一寸珍しい、なかなかの風情なのだ。

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路傍の地蔵、「伝兵衛地蔵」とか云うらしい。由緒は判らない。

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バス停を降りたところに、焼き団子を売る店があった。

発作的にもとめるに、本日最後の八本と謂う。

次のバスが来るまでに、眼前で全部焼いてもらい、

待ちきれず、その場で、焼きたてのを一本…

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親父さんが、いろいろと物語りするに、

醤油味だけの(所沢、東村山伝統の)焼き団子を売る店は、

所沢市内では、二軒のみになってしまったようだ。

愛好者の一人として、これは極めて遺憾なことだ。

この団子の定義は厳密で、

もとより、上新粉100%、味付けは醤油だけ、

作り置きはしない、原産地も立川までは含まない、とする。

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そうこうするうちに、バスがやって来た。

短いけど、沁み沁みとした旅気分を味わった一日哉。

(捨身 S100)

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2013年5月23日 (木)

瀬戸の明神社(8)

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再び、江戸期の絵図を観る。

瀬戸橋へのアプローチは、長く伸びた砂洲(実際、洲崎が字名)

のようであり、往時はなかなかの景観を呈してと想われる。

一説に、六浦の津は、松島に似ていたとも云う。

橋手前側の、瀬戸神社(三島明神と標す)の位置は、

変っていないが、社の北側に「薬師堂」と読める。

薬師如来は、三島明神の本地仏とされたから、

同じ境内に祀られたのであろう。

明治期の廃仏毀釈の際には、破却されたと考えられる。

さらに手前「千葉氏」とあるのは、筆頭神職・千葉家の館である。

ついでながら、瀬戸神社の別当寺は、

鎌倉期には在ったと伝わるが、文明十年(1478 享徳の乱か?)

に焼亡し(江戸期は別寺が務めたとも)現存していない。

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現在の瀬戸橋から、瀬戸神社方向を観る。

この下を、釜利谷奥に発する小河川が流れる。

今でも、結構、潮流があるようだ。

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瀬戸神社社前の平潟湾。

シーサイドライン八景駅下の松並木は、弁才天を祀った琵琶島だ。

幼少期に「ダボハゼ」を釣った記憶あり。

此処も摂社で、今回の特別展では、

14世紀の弁才天立像が出品されている。

(捨身 S100)

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2013年5月22日 (水)

瀬戸の明神社(7)

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社殿の後背に並ぶ摂社のうち、これは天神社。

かなり末枯れた風情の、天神像が祀られていた。

これらの小社は、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈の、

一環で行われた、神社統合の名残りとも云われる。

近隣の、熊野社、白山社、天神社、稲荷社、東照宮など、

多数の社が、瀬戸神社に合祀されたのだった。

一連の「宗教改革」は、仏教のみならず、

神道自体にも、大きな犠牲を強いた。失われた遺産も少なからず、

今となっては、全く取り返しのつかない仕儀だ。

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真新しい案内板が、謡曲「放下僧」の故地であることを示す。

金沢文庫・称名寺も、謡曲「六浦」の舞台だった。

この様に、謡曲の舞台となる地は、様々な人々が行き交った、

中世世界の、都市的な場であることが多かった。

(捨身 S100)

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2013年5月21日 (火)

瀬戸の明神社(6)

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今回の現地探索で、是非とも入手したいものがあった。

金沢文庫の特別展に出品中の、室町期の「牛王宝印版木」から、

復刻した、瀬戸神社の「牛王宝印」(ごおうほういん)護符である。

「瀬戸際すくいの杓子」なる縁起物を包む用紙として、

使われていることを知り、早速、拝受してきたわけだ。

もとより「牛王宝印」は、中世の熊野三山が授与したものが、

超有名だけれど、各地の神社でも、独自に出していたようだ。

諸国を遊行する修験者や御師の、主な仕事の一つが、

この「牛王宝印」の配布なのであった。

瀬戸神社にも、専属の「瀬戸山伏」がいたことが判っており、

鎌倉期の古文書の中に、「大夫坊」の名が出てくる。

彼らは、後に伊豆・三島大社が発行する「三島暦」の配布でも、

関わっていたと想う。

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(捨身 Canon S100)

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2013年5月20日 (月)

瀬戸の明神社(5)

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境内の探索を始めよう。

社殿の後背には、小丘と社叢林が迫り、垂直な崖を形成している。

前面に、幾つかの摂社が並び、足下は海食が残る砂岩の岩盤だ。

海進があった、太古へ遡るものなのだろうか。

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壁面に数ヶ所、やぐら状の掘り込みが認められた。

今は、稲荷社が祀られているようだが、本来は中世墓だろう。

海食の痕が、より明瞭になって、削岩痕も窺える。

案外、歴史時代の海岸線かもしれぬ。

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社叢林は、照葉樹で占められる。

定番の楠、古代、中世を通じて、理想の船材だった。

現在、関東沿岸で観られるのは、須く先人が植えた楠だ。

真鶴半島では、森を成していると聞く。

(捨身 Canon S100)

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2013年5月19日 (日)

瀬戸の明神社(4)

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横浜・金沢の海は、埋め立てによって、

見る影も無くなってしまったけれど、

この社には、今も、濃厚に海の匂いが感じられて、

言い知れぬ心地よさがあった。

祭神の三島明神、大山祇命は、古代より、

「和多志(渡し)の大神」とも呼ばれ、元々は航海の守護神なのだ。

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三島明神の本社と云われる社は、三つ現存する。

伊豆・三島大社、摂津・三島鴨神社、

伊予・大三島・大山祇神社である。

その中で、何処が起源なのか、論議があった。

最近では、原始から、活発な火山活動で怖れられた、

伊豆諸島の、大島、三宅島、新島の三島を神として祀ったのが、

始まりとする説が、有力なようだ。

また、古代氏族・物部氏の中に、半島と関わりを持つ、

「三島韓国連」という姓を名乗る一族があり、

彼らが、伊豆より、三島の神を根拠地の摂津へ勧請し、

さらに、瀬戸内海の航路上の伊予・大三島に祀ったのだとも。

やはり、大海に忽然と立ち上がる島々の、

神としての、圧倒的な存在感、畏怖感というものを、

想わずにはいられない。

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(捨身 Canon S100)

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2013年5月18日 (土)

瀬戸の明神社(3)

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特別展を観た後、ウン十年ぶりに、現地探索を試みた。

金沢八景駅で降り、東側へ向かう。

以前、一帯は鬱蒼としており、古民家が建っていたと記憶する。

やはり、曰く因縁があって、瀬戸神社の神主屋敷跡だったそうだ。

発掘調査が行われ、中世のやぐら、庭園跡、掘立柱群、

古墳時代中期の祭祀跡が見つかっている。

しかし、現状は再開発中で、一面の更地になってしまった。

瀬戸神社の鎮座する小丘と社叢林だけが、ぽつんと残っている。

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社頭に至る。眼の前は国道16号線だ。

B13051703

鳥居を潜ると、例によって、楠の古木が出迎えてくれた。

(捨身 Canon S100)

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2013年5月17日 (金)

瀬戸の明神社(2)

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六浦の津は、江戸期に入ると、港湾より、専ら、

景勝地=「金沢八景」として、知られるようになる。

屡、画題にもなったので、往時の景観が窺える。

東博で観た「金沢八景図」に、瀬戸の様子が描かれていた。

右側の岬に、瀬戸神社が鎮座し、

狭い水路状の海峡には、二つの橋が架かっている。

この場所に、最初に架橋されたのは、嘉元三年(1305)頃で、

施主は、金沢(北条)貞顕、称名寺が維持管理したようだ。

海上の橋は、傷みが早く、何度も架け替えが行われた。

潮汐の急流が、難工事を強いたらしく、

人柱伝説も残っているくらいだ。

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(捨身 二代目CX5)

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2013年5月16日 (木)

瀬戸の明神社(1)

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四年前、桜の頃に撮った、金沢文庫・称名寺。

「特別展 瀬戸神社 ~海の守護神~」(~6/9)をやっている。

金沢八景駅東側の瀬戸神社は、筆者幼少時の遊び場だった。

往時、此処は、平潟湾から、深く釜利谷へ湾入していた、

「瀬戸内海(せとのうちうみ」の、狭い海峡の岬に位置し、

潮流の激しさから、「瀬戸」と呼ばれていた。

古代から、霊地(近年、古墳時代の祭祀跡が発掘された)であり、

祭神は三嶋明神、

(謂うまでもなく、一遍が出た河野氏=越智氏の氏神である)

伊予・大三島・大山祇神社、伊豆・三島大社と同じ神だ。

(こういった神々の探索を、これから考えている)

湊の神、海上航行の神、交易の神として、

中世・六浦の津の総鎮守となり、大いに栄えたようだ。

先日、観覧してきたが、初公開の舞楽面、神像など、

とても興味深い内容だった。

ついでながら、能「放下僧」の舞台は、この瀬戸神社境内だ。

(捨身 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PRESTO400)

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2013年5月13日 (月)

武蔵・府中の薫風 つけたりとして

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武蔵・府中の探索を、とりあえず終えて、

今宵、机上で想いを馳せる縁は、彼の地で拾った小礫である。

畑中の畦で見つけた。

4㎝四方に満たない、扁平な層を成す、秩父青石で、

表面に、種字か、経文のような、判読不能の線刻がある。

その線刻を眺めていると、

日々、違ったように見えてくるから、不思議なのだ。

板碑に関わる、中世遺物の可能性が高い。

明らかに、人工的に整形した痕も認められるので、

供養のために埋められた「経石」の類かもしれない。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月12日 (日)

武蔵・府中の薫風(9)

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祭りの喧騒の中へ。

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甘い、食べ物の匂い。

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誰にでもある、想い出も。

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今回は、これにて。

七月二十日の「すもも祭り」も、要チエックである。

……………………

府中=中世の都市的な場の探索は、まだ続きます。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月11日 (土)

武蔵・府中の薫風(8)

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再び、旧甲州街道を戻って、

祭りの喧騒に沸く、大國魂神社境内を覘いてみよう。

その前に、街道沿いで、

一寸目に留まった、古民家?たちを…

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古道沿いの特徴である、古木も多くの残っている。

やはり、この辺りでは欅か。

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何故か古道によくマッチしていた、聖公会の教会。

この頃の教会の中じゃ、かなり貴重な、末枯れ方であろう。

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こういう店棚に魅かれる。

箒や熊手に混じって、さり気なく、箕(み)なんて置いてある。

如何にも、古い宿に相応しいのだけれど、

果して、何時まで続いてくれることかと想う。

もう、大國魂神社社頭、すぐ近くのところだ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月10日 (金)

武蔵・府中の薫風(7)

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さて、時宗寺を後にして、残りの行程をこなそう。

旧甲州街道を、さらに西進し、分倍河原駅近くのゴール、

天王宮・八雲社に達する。

由緒は全く不明と云うが、牛頭天王、及びスサノオノミコトを祀る。

所謂、疫病神を鎮める祇園社で、中世の都市的な場には、

必須の装置である。往時には、京や鎌倉と同様に、

祇園御霊会が行われていたと想う。

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「鎌倉道」と伝わる車道の向こう側の石垣が八雲社境内だ。

京王線の踏み切りを越えると、多摩川の「関戸渡し」へ至る。

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八雲社側から観たところ。

手前の角に、樫木の幹にめり込むように立つ、板碑がある。

「江戸名所図会」に載るほど、昔から有名だったらしい。

今では、樫木が枯れ、板碑も、保存のため、

無粋なレプリカに、代えられてしまっている。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 9日 (木)

武蔵・府中の薫風(6)

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これまで探索した時宗寺は、何処でもそうだったけれど、

その独特な、末枯れ方に魅かれたものである。

この寺も例外ではない。でも、一寸違ったのは、

今も、寺に寄り添って生きる人々の、温もりだった。

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門前に、文字通り山門と軒を接するように建つ、古民家?があった。

前を通ると、男たちが酒盛りをしている。

観るからに、異な雰囲気に、

思わず歩を止め、声を掛けてしまった。

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この屋の主とみえた、老翁が答える。

 「年に一度の祭りですからの」

此方にお住まいなのは、お寺の御用をされてるからですか?

この前、遊行寺に往ってきたばかりなんです。

 「ほう」と、老翁は微笑みながら、

 「いや、わしゃ石屋じゃない。檀家の総代なんじゃ」

 「今日は、参道で駒競べじゃった。

  五日の夕刻七時、大國魂神社社頭に、

  きっと、いらっしゃい。いいものが観られるから」

残念ながら、この約束は果たせなかったが、

恰も、一遍聖絵の世界へ引き込まれたような、

不思議な感覚に浸れた、ひとときだったのだ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 8日 (水)

武蔵・府中の薫風(5)

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旧甲州街道を渡り、路地裏の時宗寺へ足を踏み入れる。

以前に探索した、府中市内の時宗寺院は、

けやき並木のほうだった。此方は、一寸小さいのだけど、

開山の由来と立地が、より興味深い。

「古木山・諏訪院・長福寺」と云う。

当麻宿・無量光寺を開いた、二世他阿・信教が、

正応年間(1288~92)武蔵国、国府に設けた、

時衆の拠点=「府中道場」とされる。

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もとより、往時の遺構は何も残っていないが、

境内から、100点を越える板碑が出土しており、

同市内で、最も板碑が集中する地域であることも判っている。

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さて、この寺の門前で、面白い出会いがあった。

それについては、明日にでも…

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 7日 (火)

武蔵・府中の薫風(4)

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暫し、山車の出発を見物しよう。

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これも、小さなドラマ哉。

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年に一度の、晴れ舞台。

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お囃子方も、スタンバイだ。

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するり、するりと、甲州街道を大國魂神社社頭へ…

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どうぞ、お気をつけて…

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 6日 (月)

武蔵・府中の薫風(3)

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旧甲州街道を辿って、

祭りモードに入る、府中宿の町々を点描してみた。

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久し振りに、一眼レフを携行したのだけれど、

スナップには使えなかった。CX5を駆使したが、

やはり、そろそろ、更新時期にきているのは否めない。

少なくとも、次期機種は、

今までの成り行きで、選ばないようにしたい。

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いい風情哉…

大國魂社南西側の、旧甲州街道沿いは、

わりと、いろいろなものが残っているような気がする。

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いきなり、山車の引き出しに出合った。

いよいよ、始まったわけだな。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 5日 (日)

武蔵・府中の薫風(2)

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「三千人塚」より、旧甲州街道を目指して、北上する。

まず、大國魂神社の摂社「坪宮」前まで。

往古は「国造社」と云った。武蔵国国造を祀る。

「くらやみ祭り」では、神主が乗馬で参拝し、奉幣の儀がある。

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旧甲州街道に面した、大寺、「高安寺」に着く。

足利氏の、武蔵・府中での根拠地だった。

扁額に「等持院」とあるのは、尊氏の法名だ。

彼と弟・直義が、夢窓疎石の勧めで、

南北朝の戦乱による死者を鎮めるために、

全国に建立した「安国寺」の後身(武蔵国)とも。

室町期には、鎌倉公方の宿所、戦時の陣所としても使われ、

周囲から、空堀跡が見つかっている。

観音、地蔵霊場として、知られるようになったのは、江戸期からだ。

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門前では、町内の、祭りの準備に余念が無い。

いよいよ、祭りモードの中へ入っていく。

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(捨身 二代目 CX5)

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2013年5月 4日 (土)

武蔵・府中の薫風(1)

B13050301

連休中の武蔵・府中、大國魂社「くらやみ祭り」の喧騒を、

掻き分け、敢えて、市内の中世遺跡探索へ出かけた。

今回は、主に、大國魂神社の西南側、

本町と旧甲州街道界隈を廻ってみた。

出発点は、中央道際の「三千人塚」に決める。

元弘三年(1333)分倍河原合戦の戦死者三千人を葬ったと云う、

伝承があり、今も、中世の板碑がそのまま立っている。

過去二回の発掘調査で、13~4世紀の常滑骨蔵器四つと、

江戸期の経礫石が多数出土したが(信仰対象か?祟り封じか?)

分倍河原合戦との関わりは、見つからなかったようだ。

土饅頭、板碑、古木と、典型的な中世墓の景観を呈する、

珍しい例だと想う。

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エノキの大木に寄り添うように立てられた板碑。

表面はかなり風化しているが、微かに種字と銘が認められる。

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「康元元年(1256)父何某の三周忌にあたり造立」と刻む。

東国の板碑では、最古級とされる。

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所々に畑も残る、至って閑静な住宅地の中だ。

(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 3日 (金)

片瀬の浜にて(4)

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片瀬橋上より、境川河口部を観る。

実は、この川の源流は、寓居からそう遠くない、

多摩丘陵の西端(町田市)に発しているのである。

現在、上流部は東京都と神奈川県の境界線を成しているが、

中近世以前も、武蔵、相模の両国の境界を示す川であった。

もちろん、「境川」と云う名も、其処に由来する。

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ちょうど、境川が相模湾に注ぐ正面に、江ノ島がドーンと鎮座する。

この光景には、何か畏怖すべきものを感じないわけにいかない。

一遍聖絵は、一遍が辿った経路上に点在する、

代表的な寺社などの霊地を、余すところなく描いているが、

富士山とともに、江ノ島も、その中に出てくる。

やはり、中世世界有数の霊地だったはずだ。

ついながら、現存の片瀬の浜の場面には、境川が描かれていない。

 (おそらく、描かれていたが、江ノ島断簡と一緒に、

  切り取られた際に、失われたようだ)

一遍聖絵を参考にして、

一寸後に作られた、「遊行上人縁起絵巻」では、

ちゃんと、それらしき川が描かれていた。

手元に、あまり鮮明な画像を持ち合わせてないのだけれど、

下に掲げておこう。

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(捨身 二代目CX5)

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2013年5月 2日 (木)

鎌倉よ…

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鎌倉の世界遺産不登録が決まった。

ごく常識的で、予想通りの結果である。

この町の、世界遺産を目指す運動に感じた違和感は、

今までも、度々触れてきた。

誰にでも、目に見える形で、その時代の遺構(建築物)が、

殆ど現存していなのだから、仕方あるまい。

まして、モノが無いのに、歴史的な経緯を、いくら言葉で、

説明してみせても、世界の人々に納得してもらうのは難しい。

ただ、鎌倉にとって、気の毒だったのは、

一足先に、石見銀山と平泉が登録されて、

間違ったメッセージを、受け止めてしまったことかもしれない。

石見も、平泉も、通常ならば、登録は難しい案件だった。

しかし、両者とも、「特別で、例外的な」事情が生じて、

謂わば、サプライズで、登録に至った。

もとより、今回の鎌倉には「特別と例外」は無かったわけで、

通常の審査基準に戻っただけということなのだ。

今後は「再挑戦」なんて、無粋なことは考えないで欲しい。

地味だけど、大人で、どこか心温まる雰囲気を持った、

この町が好きなのだから。

(富士山の成功については、稿を改めよう)

…今日の捨身…

 一時は、現存唯一の鎌倉遺構と話題になった荏柄天神社。

 此の拝殿の奥にある本殿は、鶴岡若宮から移築された、

 鎌倉末期のものとされ、重文指定を受けた。

 色出が、何故か一昔前の観光絵葉書のようになった一枚に…

(ライツ・ミノルタCL  Mロッコール40㎜F2 CENTURIA)

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2013年5月 1日 (水)

片瀬の浜にて(3)

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昨日触れた、一遍聖絵、片瀬の浜 地蔵堂の場面、

左端の人物と屋根が不自然に切れ、詞書と接がれている部分だ。

此の間に、もう一つの場面が入っていたことが判っている。

その断簡と言われる絵が、切り離されて、

別に伝来しているので、以下に掲げよう。

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片瀬の浜の様子である。小船に乗った人々が次々と浜に着く。

一遍たちの踊り念仏挙行を聞きつけ、近在から集まって来たようだ。

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遥か沖合いには、江ノ島が浮ぶ。

青々とした杜と、朱色の鳥居、社殿、塔が映える。

中世世界の江ノ島が描かれた、稀有な例だと想われる。

相模湾の砂浜に、忽然と現れる、此の島の神秘性が、

よく伝わってくる。有史以来、「神」と崇められた所以であろう。

鎌倉の、西の境界の守護神としても、位置づけられていたはずだ。

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江ノ島を望みながら、片瀬の浜を歩く。

「極東のモン・サン・ミシェル」なんて、誰か謂って居ったな。

然もありなん、か。

(捨身 二代目CX5)

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