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2013年6月17日 (月)

足利へ(7)

B13061601

かつて、ばん阿寺の掘外に、寺を囲むように十二の塔頭があった。

明治の廃仏毀釈で全て失われ、孔子廟(寛文八年=1668)と、

「学校門」(同年)他が残るのみとなった。

これが「足利学校」と呼ばれる施設である。

現状は、1990年に、方丈、書院、庭園、土塁、水堀が再建され、

江戸期の姿を復元している。

B13061602

よく、「日本最古の学校」とされるが、創立年代は全く不明だ。

足利氏の鎌倉期は、金沢北条氏の、金沢文庫のような、

邸内の文庫や学問所だったのかもしれない。

文献が多いのは、室町後期から戦国期で、当時の足利荘は、

関東管領上杉氏の領地であり、同氏のバックアップもあって、

隆盛を誇ったようだ。イエスズ会士の書簡に「坂東の大学」と、

報告されているのは、この頃のことだ。

B13061603

孔子堂内部には、孔子像と小野たかむら像が祀られている。

江戸期に、足利学校は、小野たかむら創建説を、

公称していたからと云う。

小野たかむら伝説は、八王子の横山党始祖説にもある如く、

近世以降の東国で、流行っていたような気がするが、どうだろう。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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