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2013年6月の記事

2013年6月28日 (金)

三島社参(7)

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各地の寺社を探索すると、様々な守札などを見かけるが、

似通ったものが多くて、あまり面白くない。

三島社では、これであろうか。

三島暦の復刻版である。@\300也

季節柄、夏越祓いの「茅の輪守り」を添えてみた。

「茅の輪くぐり」は、今では、方々の神社で行われているけど、

もともとは、宮中の年中行事で、畿内が中心だったはずだ。

中世後期には廃れてしまい、近世の復興を経て、

近代に入って、上からのお仕着せで流布したようだ。

判で押した感じになって、こちらも、あまり面白くない。

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(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月27日 (木)

心太(こころふと=ところてん)食ひたし…

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梅雨時の鬱陶しさを払わんと、

何か、つるっ、さっぱりしたものが食ひたくなった。

やはり、ところてん、なんか相応しい。

ところで、ところてんとは、「心太」と充てるけれど、

本来は、読んで字の如く「こころふと」なのである。

中世世界でも、人気の食べ物だった。

「こころふと」を売る女性(心ふとうり)の姿が、

「七十一番職人歌合」(室町後期16C初)に出てくる。

既に、心太突き(何処かで出土したか?)を使って調理している。

手前には、曲げ物に冷し固めた「こころふと」と、

切り分ける包丁、盛り付ける青磁碗が観える。

そうか…青磁碗で食ったら、美味いかもしれんな。

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(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月25日 (火)

三島社参(6)

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頼朝の東国武家政権が固まって以降、

代々の東国為政者が、三島、箱根、伊豆山(熱海)の三社を、

篤く、信仰する風が始まったとされる。

何れも、古代より、東国世界を揺るがしてきた、

富士箱根伊豆火山帯の中枢部に鎮座し、

火山、火山島、温泉を象徴してきた神々なのであった。

今回、三島を訪れてみて、

残る二社が、要探索候補になったのは、謂うまでもない。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月23日 (日)

三島社参(5)

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最後の神門を潜ると、舞殿が観える。

現在の建造物群は、安政地震(1855)以後の再建なのだが、

寛政期の徳川幕府による大造営に倣った規模と様式になっている。

基本的には、一遍聖絵に描かれる中世の、池や社殿の配置と、

著しい改変は無く、景観もあまり変わらないと考えてよさそうだ。

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一遍聖絵の場面へ戻ると、

二の鳥居、楼門を過ぎれば、方形の舞台のような礼殿、

再び楼門、切り妻縦位置のやや長い幣殿が続く。

板敷きの幣殿に、あふれるばかりに並み居る時衆、

左手の上座で、彼らと向かい合うのが一遍だ。

その先、横位置に階、桧皮葺入母屋造りの本殿がある。

庭上では、一遍の話を熱心に聴聞する参拝者が集っている。

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いよいよ、舞殿の奥、本殿に至る。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月22日 (土)

三島社参(4)

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現在の総門から、更に先の、神門を望む。

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一遍聖絵に拠れば、この辺りには、二の鳥居と楼門があった。

やはり、此処も参拝者でごった返している。

手前の摂社に、数珠を手に懸け、何事か一心に祈る女性、

門脇では、やあやあと、旧交を温め合う二人の武士、

両人とも、傍らに従者を控えさせているので、

ある程度の身上なのだろう。

楼門内の左右には、弓矢を背負った随身が目を光らす。

後世は木像になったが、絵巻では生身の人のように見える。

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今日のサービスショットは、神池、厳島社前の紫陽花にしてみた。

ちょうど、盛りを迎えていた。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月21日 (金)

三島社参(3)

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参道を進むとしよう。

一遍聖絵の三島社の場面は、絵巻物の常套に則り、

やや上空から俯瞰するカメラアングルを占めて、一の鳥居、

神池、反橋(太鼓橋)中ノ島、平橋と、参道を追って往く。

上は現在の反橋を渡ったところ。次の平橋が観える。

現状は両側が池で、回廊のようになっているから、判り難いが、

今、立っているのが、一遍聖絵では、中ノ島の辺りになる。

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それにしても、引きも切らない参拝者の列だ。

改めて、中世人の、信仰心の直向さを想う。

市女笠から虫垂衣(むしのたれきぬ)を垂らした女たち、

山伏(結構、目に付く)、僧、尼、稚児、武士…

白い浄衣に立烏帽子は、春日験記絵巻に倣えば、神人か。

正しく、中世世界の雑踏が続く。

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現在の神池には、政子勧請と伝える厳島社が祀られているが、

聖絵のほうでは見当たらない。ずっと時代が下るのだろう。

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総門が観えて来た。一遍聖絵では、二の鳥居と楼門が描かれる。

中世と現代、参拝者を対比してみるのも一興哉。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月20日 (木)

三島社参(2)

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三島大社大鳥居(一の鳥居)前は、東西に並行する旧東海道と、

旧下田街道が直交する、三叉路になっている。

三島は、古代・中世を通じて、伊豆国の国府が在っただけでなく、

都市的な場としても、賑わってきた。三島社はその中心に鎮座する。

一遍聖絵・巻第六・第二段に描かれた、同地の場面だ。

弘安五年(1282)七月十六日、

相模国片瀬浜、地蔵堂での踊り念仏興行の後、

一遍らは、京へ上る途中、三島社に立ち寄った。

この場面は、以前にも紹介したことがあるけれど、

今回は、実際に現地に立って、確かめてみたくなったわけだ。

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参道は、現状とほぼ同じで、大鳥居から直ぐ、太鼓橋にかかる。

現在の太鼓橋(木橋から石橋に変わっている)より、

旧下田街道方向を望む。

この道は北条氏の本拠地、韮山へ通じていた。

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そう謂えば、治承四年(1186)八月十七日の、

頼朝の挙兵、伊豆目代・山木兼隆館襲撃は、

三島社祭礼の日に決行されたのだった。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

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2013年6月19日 (水)

瀬戸の明神社 つけたりとして

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金沢六浦、瀬戸明神社のフィルム画像が上がってきた。

今宵暫し味わい、一寸休息と書見などを入れてから、

三島社の話題へ移ろうと想う。ご容赦を…

それにしても、今更ながら、

フィルム画像のディテールのタッチに、心地よさを覚える。

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(捨身 ライツCL Mロッコール40㎜F2 TRI-X)

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2013年6月17日 (月)

足利へ(7)

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かつて、ばん阿寺の掘外に、寺を囲むように十二の塔頭があった。

明治の廃仏毀釈で全て失われ、孔子廟(寛文八年=1668)と、

「学校門」(同年)他が残るのみとなった。

これが「足利学校」と呼ばれる施設である。

現状は、1990年に、方丈、書院、庭園、土塁、水堀が再建され、

江戸期の姿を復元している。

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よく、「日本最古の学校」とされるが、創立年代は全く不明だ。

足利氏の鎌倉期は、金沢北条氏の、金沢文庫のような、

邸内の文庫や学問所だったのかもしれない。

文献が多いのは、室町後期から戦国期で、当時の足利荘は、

関東管領上杉氏の領地であり、同氏のバックアップもあって、

隆盛を誇ったようだ。イエスズ会士の書簡に「坂東の大学」と、

報告されているのは、この頃のことだ。

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孔子堂内部には、孔子像と小野たかむら像が祀られている。

江戸期に、足利学校は、小野たかむら創建説を、

公称していたからと云う。

小野たかむら伝説は、八王子の横山党始祖説にもある如く、

近世以降の東国で、流行っていたような気がするが、どうだろう。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月16日 (日)

足利へ(6)

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さて、ばん阿寺の呼び物?土塁を探索してみよう。

階段と小径が付けられ、歩き易くなっている。

中世の土塁がよく判る遺構で、もとよりホンモノだ。

ついでながら、中世の館跡がその儘、寺になった例を、

「館寺」(やかたでら)と呼ぶ。

邸内の持仏堂が発展した場合が多い。

金沢文庫の称名寺もそうだ。ばん阿寺は足利氏二代義兼の、

(1154?~99 足利荘に入った初代義康は源義家の孫だった)

本拠地で、彼の死後、子息義氏が高野山真言宗末寺の、

「堀内御堂」を建立し、足利氏の氏寺としたのが始まりだ。

爾来、文字通り、この「堀内」に、寺は在り続けたわけだ。

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館内から観ると、土塁の傾斜と高さはこんな感じになる。

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コーナー部分の曲がり具合を示す。地面は締まっており、

今も、版築(一層一層、土盛りを杵でつき固める工法)が、

効いているのかもしれない。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月15日 (土)

足利へ(5)

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今日の蒸し暑さに、些か疲労したので、一寸閑話休題。

ばん阿寺境内には、

数多くの文化財指定の建築物が現存しているが、

その中で、東国では珍しいと云われるのが、多宝塔である。

近世建築で、五代将軍綱吉の母、桂昌院の再建になる。

徳川家は、新田氏末裔を自称して、「源氏」を名乗っていたから、

同族の先祖、足利氏にも敬意を払っていたのかと、想ったら、

実情は違うようだ。

桂昌院の実家を称する(これも怪しい)の本庄氏が、

彼女の贔屓で、元禄年間、足利に一万石を拝領、

足利藩を立藩していた経緯があったのだ。

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その多宝塔前の紫陽花が、本日のサービスショットというところで、

ご容赦を… 足利、もう少しお付き合い下さい。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月14日 (金)

足利へ(4)

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これだけの古い歴史、広壮な境内、数々の文化財を、

擁するにも拘らず、ばん阿寺は、

敷居の高さを感じさせない寺である。

休日の「大御堂」(本堂)は、護摩祈祷を願う人々で賑わう。

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ご祈祷が始まる前に、内陣の様子を一寸撮らせて頂いた。

住僧の方も、とてもフレンドリーで、四方山話に花が咲く。

近頃、あまり芳しくない話題が多い、

京・南都・鎌倉の寺々では、考えられないことだろう。

堂内の提灯に配されている「二引き両紋」は、

謂うまでもなく、かつての大檀那、足利氏の紋だ。

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やはり、五月の国宝指定のニュースで、拝観者が増えているようだ。

これはこれで、よいことだ。

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樹齢六百年と云う大銀杏から観た「大御堂」

七百有余年、様々な人々を受け入れてきたに違いない、

この大らかさを想う。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

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2013年6月13日 (木)

足利へ(3)

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国宝指定になる本堂(大御堂:大日堂)をじっくり拝観しよう。

やはり、風雪七百有余年の、中世建築の迫力は大したものだ。

筆者は、こういう、ホンモノの中世構造物にホレボレしてしまう。

本堂は十間四方の方形を成し、独特の反りを付けた、

入母屋屋根は、鎌倉後期に流行した禅宗様を示す。

その辺は、円覚寺舎利殿や、正福寺地蔵堂と共通するが、

時代的には、二百年近く古いので、より貴重だ。

しかも、密教寺院でありながら、禅宗様との折衷が面白い。

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厳密に謂えば、この堂は創建当時の儘ではない。

まず、屋根が室町中期に瓦葺きに改められ、重さに耐えるように、

柱が補強された。元は桧皮葺であったろう。

堂の正面と背面に、礼拝用に張り出した庇を、

向拝(ごはい=背面の場合は後拝)と呼ぶが、

背面は室町末期、正面は江戸中期に増築されたようだ。

もとより、上記の諸事情を含めても、

この堂の価値を些かも低めるものではないわけだ。

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其の向拝から、やって来た山門方向を観る。

正面に吊るされているのは、巨大な鰐口(わにぐち)だ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月12日 (水)

足利へ(2)

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さて、特徴ある唐破風屋根付の太鼓橋(江戸・安政期)を渡って、

ばん阿寺境内へ入ろう。山門は戦国期で、足利義輝の再建とある。

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ばん阿寺は、全周を水堀と土塁に囲まれた、

ほぼ200m四方の、方形状の敷地に建っている。

中世前期(12世紀~)の足利氏居館跡とされ、

なかなかの、中世的な景観を想わせて、一興である。

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山門を潜り、正面の大御堂(本堂、あるいは大日堂とも)を望む。

正安元年(1299)尊氏の父、貞氏(古い話だが、

 大河の太平記では、緒形拳が演じていた)が再建したと云う。

堂々とした、ホンモノの鎌倉建築なのは確かで、

(もとより、鎌倉では現存していない)

この五月に、重文から国宝指定になることが決まったばかりだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

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2013年6月11日 (火)

三島社参(1)

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ニュースで農家の人々の嘆きを視るにつけても、妙な晴れ間である。

やはり、梅雨に煙りながら、何処までも続く、

青々とした田圃の風景こそ、この季節に相応しい。

其れはそうとしても、今の晴れ間を見逃す手は如かずと、

三島へ往って来た。

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駅を降り、暫く歩くと、町中に富士の湧水群が現れる。

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その流れに誘われ、鬱蒼とした路地を逍遥すれば、

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程なく、三島大社社頭に辿り着いた。

つまり、相州当麻宿、無量光寺鎮守の三島明神社、

武州金沢六浦の瀬戸明神社と、一連の探索の区切りが、

此処、豆州三島の本社と謂うことなのだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

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2013年6月10日 (月)

足利へ(1)

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大宮から宇都宮線、小山で両毛線と乗り継いで、足利で降りた。

もとより、この路線は初めてだ。

車窓一面、水が入った、北関東の田圃が続き、

所々に、黄金色の、麦秋の風景が飛び込んでくる。

つくづく、一年で最良の季節だと想ってしまう。

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駅を出て、徒歩十分とかからないところに目的地はあった。

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鎌倉期の、足利一族の館址と云われる、ばん阿(な)寺である。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月 9日 (日)

八王子城の六月(3)

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八王子城址は、他の中世山城跡に比べ、

破格の量の遺物が出土している。

落城時の激しい合戦の後、時衆の陣僧らによる、

戦死者の収容、供養が行われたであろうが、

焼跡は、そのまま打ち棄てられて、

人為的な破却は、無かったようだ。

その為、多くの遺物と遺構が残ったわけだ。

更に、江戸期を通じて、入山を憚る場所にもなっていく。

落城の六月二十三日には、麓が晴れていても、

深い霧に覆われ、時ならぬ合戦の雄叫びや、女性の悲鳴、

弓矢鉄砲の響きが聞こえるとの、言い伝えがあり、

里人は怖れていたらしい。

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今回のリニューアルで、訪れる人が増えている。

去年、探索した際は、週末だけの人出だったが、

現状は平日でも、人が絶えることがない。

ボランティアガイドも常駐になった。

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一寸、気懸かりなのは、自然環境のことだ。

こちらも、静かに守れていたはずだったのだけれども、

最近は鳥類の撮影者が目立ち、影響が出て居る。

対策が必要だろう。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月 8日 (土)

八王子城の六月(2)

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前回、訪ねた時は、工事中だった、山麓の御主殿跡が、

きれいに整備された。

発掘状況が判るように、礎石のレプリカが並べられ、

遣水跡も再現している。

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用途が未だ判らない石敷きと、小径遺構。

今年、この小径が続く、先の部分の発掘調査が行われる。

御主殿跡は多くの遺物が出土しているので、

新たな発見も期待出来るだろう。

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一部、建物跡に床面を作って、間取りを展示する。

北側の庭園跡の石組みも、よく出来たレプリカである。

この辺り一面の地下に、全ての出土遺構が埋め戻されて、

保存されているのだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月 7日 (金)

八王子城の六月(1)

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虫たちが集(すだ)き出すのは、雨が近い証しと云う。

確かに、大気は微かに湿気を帯び、東風が頬を撫でた。

八王子城の六月は、死者を想う月である。

落城は、天正十八年(1590)六月二十三日だった。

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ほぼ一年ぶりに、城を訪ねる。

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先頃、施設のリニューアルが完了したと聞いたからだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

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2013年6月 4日 (火)

鑓水の里 逍遥

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周囲を宅地に浸食されたとは謂え、此処、鑓水の里は、

八王子の、奥座敷のような風情を保っている。

「絹の道資料館」で、ベアトの撮った古写真を観たが、

現在でも、往時の景観がよく残っているのではないかと想う。

ベアトは横浜から、神奈川、原町田宿(=町田 写真現存)を経て、

「絹の道」を辿り、鑓水に至っているらしい。

貿易商の、産地視察の伝手を頼っての、旅だったかもしれない。

実際、鑓水には、外国人客接待のために、

洋館(日本人が建てた最古の洋館とも)を建てた、

生糸商人も居たようだ。

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大きな古民家が多い地域なのだけれど、

昔の儘の姿で現存する例は、殆ど無いみたいだ。

一軒だけ、南側の谷戸にある、一寸知られた茅葺の古民家は、

文化財指定でも、居住者が居るので、撮影不可のはずだ。

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由緒不明ながら、興味をそそられる社も点在する。

中世まで遡ると考えるのが自然だろう。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月 3日 (月)

谷戸田に水入る

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多摩丘陵、最深部の谷戸田に水入る。

今春の田植えは、やや早かったようだ。

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てっきり、梅雨の晴れ間は終わったと想っていたら、

天候が回復してしまった。

谷戸田を渡る風、頗る心地よし。

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鑓水の谷戸奥、「絹の道資料館」に往ったのは初めてである。

幕末期から、明治、大正、昭和初期と、賑わった「絹の道」は、

此処より先、御殿峠越え、片倉、八王子旧市街へと続いている。

林間、鶯と不如帰の競演に耳を欹てるのも、一興哉。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

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2013年6月 2日 (日)

日々の写真 6/1

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紫陽花綻び、

梅雨の晴れ間終る。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)  

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