« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月の記事

2013年7月31日 (水)

G1Xを試しに、再び箱根山中へ(1)

B13073001

いろいろ考えた末、G1Xを導入した。

思いたって、

デスク廻りに散らばる、フードやストラップ類を掻き集め、

急ぎカメラをセットアップし、再び、あの異界の山へ向かう。

B13073002

…箱根山中の異界へ… あと一寸お付き合い下さい。

(捨身 上 Canon G1X 下 OLYMPUS XZ-10) 

| | コメント (0)

2013年7月30日 (火)

箱根山中の異界へ(9)

B13072901

さらに芦の湯方向へ進み、一連の石仏群最後の遺物を観る。

いずれも、二メートルを越える、鎌倉後期の堂々とした五輪塔だ。

向かって左側、寄り添うように立つのは、

曽我五郎、十郎兄弟の墓で、やや離れた右側の一基は、

十郎の恋人、虎御前の墓と伝わる。

だが、これは江戸元禄期以降の、創作のようだ。

歌舞伎の曽我もの人気や、物詣での流行にあやかり、

五郎が稚児として、箱根権現に入っていた史実も踏まえた、

人寄せ目的の、後日談だったやもしれぬ。

藤沢・遊行寺、小栗堂の、小栗判官と照手姫の墓と、

よく似たケースだろう。

B13072902

実際には、「虎御前塔」の基部(地輪)に、地蔵講の人々が、

永仁三年(1297)に造塔したと云う、銘文がある。

B13072903

現存中世五輪塔の中で、この三塔は特に、優美かつ、

技巧に優れているので、重文指定になっている。

確かに、筆者が、今まで観た五輪塔の中でも、

出色の、出来栄えだと想う。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月29日 (月)

箱根山中の異界へ(8)

B13072801

岩塊の頂部まで、彫られた地蔵たち。

周りを、舟形光背の形に掘り窪め、その中に浮き彫りされている。

多くは、箱根山を行き来した、中世の旅人を出迎えるかのように、

湯坂道に沿って、東西の方向を向く。

B13072802

三角岩塊の裏側(東側)へ廻ってみる。

全て、蓮華座(浮き彫りか線刻)上に立ち、右掌に宝珠、

左手に錫杖を持つ、典型的な地蔵菩薩立像である。

B13072803

岩壁には、銘文が刻まれ、

永仁元年(1293)と三年(1295)の年記から、

一連の石仏群で、最初に彫られたものと判る。

石造の庇が取り付けられ、覆屋用のほぞ穴も穿たれた、

丁寧な造りだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月28日 (日)

箱根山中の異界へ(7)

B13072701

精進池から芦の湯方向へ、さらに歩を進めると、急坂に当り、

左手斜面に、巨大な三角形の岩塊が露出しているのが観える。

B13072702

近づくと、多数の石仏が彫られているのが判る。

「二十五菩薩」と呼ばれる、磨崖仏群だ。

二十六体を数えるが、阿弥陀如来像の一体を除き、

あとは、地蔵菩薩像である。

「二十五菩薩」と云うのは、阿弥陀如来が来迎の際に、

付き従って来る菩薩たちのこと。

此処では、地蔵たちを、その様に見立てたのだろうか。

B13072703

斜面をよじ登って、よく観察してみる。

前述の、中心仏と想われる、阿弥陀如来像(右側)を見つけた。

像高は約1mほど、左手を垂らし、右手の掌を胸の前に立てる、

「来迎印」で、阿弥陀仏と知れるわけだ。

もとより、鎌倉石仏の粋、その深く、穏やかな表情に打たれる。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月27日 (土)

箱根山中の異界へ(6)

B13072601

高さ三メートルはある、巨大な宝きょう印塔が現れた。

頼義、義家、頼朝を輩出した、河内源氏の祖、多田満仲の墓と、

伝えるが、その由緒は全く判らない。

基部に、永仁四年(1296)と正安二年(1300)の年紀銘と、

結縁衆(造塔を志した人々)と、石工、供養僧の名を刻む。

因みに、石工は金沢文庫・称名寺の三重塔を建てた大工、

供養僧は、極楽寺の忍性と解読されている。

B13072602

反対側から観たところ。

塔身の三面に種字、残る一面は、釈迦如来像を彫る。

石塔本体は重文指定だけど、頂部の相輪は後補ということで、

指定除外だそうだ。

B13072603

やはり、鎌倉期の石仏、

造りと、表情に惹き込まれた。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月26日 (金)

箱根山中の異界へ(5)

B13072501

六道とは、人が生前の善悪の業に因って赴く、六つの世界、

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上のこと。

其処へ辿り着く、六本の分かれ道、即ち、

あの世と、この世の境界が「六道の辻」である。

たとえ、どの世界へ赴くことになっても、其々の辻に立ち、

救済してくれると云うのが、六地蔵だ。

峠、坂、辻、岸辺、門前に、六地蔵が祀られることが多いのは、

これらの場所も、あの世と、この世の境界と看做されたからだ。

精進池は「六道の池」とも、呼ばれたらしい。

死者は四十九日の間、此方側の岸辺に留まり、

向う岸へ渡って、冥界へ赴くとされた。

箱根山で、死者が最終的に辿り着くのは、

その上に聳える、駒ケ岳だった。

B13072502

池畔に立つ「応長地蔵」(重文 応長元年=1311 の銘文あり)を観る。

かつて、此処で、送り火が焚かれたので、

「火焚き地蔵」の別名がある。

B13072503

さすがに、鎌倉期の石仏で、素朴ながらも、造りは確かだ。

表情もいい。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月25日 (木)

箱根山中の異界へ(4)

B13072401

石仏群があるこの谷、現在の国道一号線では、

一瞬で通り過ぎてしまう。

でも、箱根山を越えた、中世の旅人にとっては、

一刻も早く、抜け出たい、怖ろしい場所であったろう。

中世の湯坂道は、精進池の岸辺を通っていた。

その汀を、「死人に往き逢てはならぬ」と、馬の鞭を上げ、

徒歩ならば、小走りで、周囲を見回しながらの、

道往きだったと想う。

そんな主従の、光景がありありと目に浮ぶ。

気象条件も、厳しいようだ。

東西の風が吹きぬけ、霧や雲が発生し易く、豪雨もある。

筆者が訪れた際も、一陣の風あり、靄が立ち込めたり、

日が差したりと、目まぐるしく、天気が変わった。

B13072402

ここ十年ぐらいで、ビジターセンターや、標識、遊歩道が、

整備されたらしいが、往き逢ったのは、二グループだけだった。

ビジターセンターの設備は、トイレ、ベンチ、パネル展示のみ、

販売機無し、常駐者無しだから、水食料の持参をお勧めする。

もとより、近辺に人家も無い。

真昼、蜩の合唱の中で、暫し独りきりとなった。

やはり、此処は「六道の辻」だな。

B13072403

遊歩道を進み、最初の石造物に遇った。

「八百比丘尼の墓」と云う、宝きょう印塔の残欠だ。

基部に、観応四年(1350)の銘がある。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月24日 (水)

箱根山中の異界へ(3)

B13072301

箱根山中の異界へ往くには、

小田原駅前発、元箱根行きの、路線バスに乗ればよい。

湯本を経て、国道一号線を只管登り、芦の湯を過ぎ、

外輪山(箱根山峠)の最高点(874m)に達し、

芦ノ湖側へ下り始めたところで、バスを降りた。

「六道地蔵」とは、何とも怖ろしげなバス停だ。

一寸人家が絶えた辺りの、駒ケ岳と二子山に挟まれた、

この狭い谷間に、「精進池」(古い火口湖か)が鎮まり、

中世箱根越えの、湯坂道も通っているのだ。

B13072302

現在、此処は元箱根石仏群として、史跡になっているけれど、

中世世界では、「地獄」とか「賽の河原」「六道の辻」と呼ばれ、

この世とあの世の、境界を呈していた。

バス停の名称になっている「六道地蔵」は、

覆堂は発掘再現だが、正安二年(1300)の銘文を持つ。

関東最大の中世磨崖仏(座高3.2m 重文)と謂い、

石仏群の本尊とされる。

B13072303

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月22日 (月)

箱根山中の異界へ(2)

B13072101

中世の東海道(単に海道と呼ばれたようだ)最大の難所は、

箱根越えであることは、論を待たないだろう。

B13072102

平安初期の富士噴火により、一時不通になった、

足柄峠越えに代わり、箱根山中を直に踏破する湯坂道が、

中世世界を通じての、メインルートになったわけだが、

中世の旅人にとって、箱根山は、厳しい自然条件はもとより、

仏神や死霊、はたまた、山賊どもも集まる、

人知の及ばない、恐ろしい境界地=異界だった。

B13072103

鎌倉後期の公家、飛鳥井雅有の紀行文「春の深山路」はこう記す。

…富士を仰ぎながらの峠越えは、印象的ではあるが、

 厳しさ、危うさはこの上ない。

 未だ明けやらぬうちに、登り始めたが、

 やっとのことで、湖のほとり、芦川という宿に辿り着いた。

 此の山には不思議なことが多い。山頂に在るこの湖は、

 雨降っても、水増えず、日照っても、減ることがない。

 「地獄」とか云うのがあって、死者と行き逢えば、

 いつも、故郷に言づてをされると、方々に書かれる。

 「芦の海の湯」という温泉もある。

 箱根権現は、伊豆箱根二所とも称し、

 昔、役行者が修行された、熊野のような霊験所である…

B13072104

さて、今回の探索地は、其の「地獄」、

あるいは、「賽の河原」とも呼ばれたところなのだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月21日 (日)

箱根権現(7)

B13072001

B13072002

B13072003

北条幻庵は、箱根権現別当を務めた後、北条氏五代にわたり、

一族の長老として、長く生きたとされる。

中世世界では、異例の九十八歳と云う。

近年は、さすがに「異様である」と、再検討されているようだが、

因みに、彼の父親、伊勢宗瑞(北条早雲 1432~1519)の、

八十八歳説も、否定する根拠は見つかっていないのだ。

幻庵が亡くなったのは、天正17年(1589)

秀吉の小田原攻め(天正18)の僅か八ヶ月前だった。

伊豆山同様、箱根権現も、焼討ちを受け、全山焼亡する。

(捨身 OLYMPUS  XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月20日 (土)

箱根権現(6)

B13071901

中世文書に記されるところの「くわんとうしゅこ二所こんけん」

と云うのは、関東守護二所権現のことで、伊豆山と箱根山を指す。

あるいは、三島明神を加えて、三所権現とも称し、

歴代東国武家政権の、別しての、守護神として、

中世世界に於ける、宗教的地位を確固としたものにしていく。

最後の大スポンサー、小田原北条氏は、

伊勢宗瑞(北条早雲)の三男、菊寿丸を、幼少時に入山させ、

当山のトップ、別当職を継がせるに至る。

彼と箱根権現には、膨大な所領が宛がわれていた。

それを示す文書を、宝物殿で観ることが出来る。

…伊豆、相模、武蔵、上総のうち、

 都合、四千四百六十五貫目を継がせる

 永正十六年(1519)四月二十八日、

                  宗瑞 花押

 菊寿丸どのへ…

菊寿丸とは、後に北条五代にわたって、一族の重鎮となり、

様々な芸能に長じた、マルチタレントぶりで、名を知られた、

北条幻庵・宗哲(長綱 1493~1589)である。

B13071902

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月19日 (金)

箱根山中の異界へ(1)

B13071801

B13071802

B13071803

本日、イベント盛り沢山にて、先程、戻ったばかり哉。

またしても、想い立って、

今度は、箱根山中の異界へ向かって居た…

(箱根権現のほうも、もう一寸続きます)

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月18日 (木)

箱根権現(5)

B13071701

箱根権現の正体は、伊豆山権現とよく似ている、と謂うか、

ほぼ同体ではないかと想われる。伊豆山の稿で、既述だが、

大磯の高麗山寺(現・高来神社)に示現した、半島渡来の神は、

伊豆山と箱根山の両方に、分祀されたと伝わる。

箱根権現縁起絵巻でも、異国渡来の姫と王子が、

箱根、伊豆、両所権現になったと云う、物語が出てくる。

その還座は、初期の山岳修験者が行ったとも。

修験道は、両山の草創から、関わっていたわけだ。

箱根権現も、法体、俗体、女体の三体で、夫々、文殊菩薩、

弥勒菩薩、観音菩薩が本地仏とされ、

三所権現と称するのも、共通する。

宝物殿所蔵の、箱根曼荼羅(江戸期)に、三体の尊様を示す。

B13071702

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月17日 (水)

箱根権現(4)

B13071601

B13071602

伊豆山や箱根権現の、仏神混合のことを考えて居て、

一寸頭が疲れた。

因って、今宵、暫時休息し、箱根山中の神気を味わうべし…

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月16日 (火)

箱根権現(3)

B13071501

三島、伊豆山、箱根山の中で、やはり、場所柄、当所が、

一番、観光客で賑わっている。

でも、箱根権現縁起絵巻を観れば、その繁華さは、

中世世界には、及ばなかったかもしれないと、想ってしまう。

湖岸と社殿の間、石段の周囲に、ぎっしりと立ち並ぶ家々は、

僧侶、修験者、神人の住居であるばかりでなく、

参詣者を受け入れる、宿坊であった可能性がある。

伊豆山同様、修験者が先達となって、招致していたのだろう。

しかも、伊豆山より有利だったのは、鎌倉期に入って、

古東海道のメインルートが、古代・平安初期に使われた、

足柄峠越えから、箱根湯本へ抜ける、湯坂道に移ったことだ。

確かに、縁起絵巻でも、芦ノ湖の対岸に、

街道と、宿らしき集落(芦川の宿か?)が描かれている。

京・鎌倉を往復する人々は、必ず、箱根権現を拝して、

芦ノ湖畔を通ったことになる。大したアピール力だった。

B13071502

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月15日 (月)

箱根権現(2)

B13071401

箱根神社と云えば、お天気カメラなんかで放送される、

芦ノ湖に映える、鳥居の神秘的な光景で、有名だけれど、

実は、これは新しいものらしい。

宝物殿所蔵の「箱根権現縁起絵巻」(鎌倉後期・重文)に、

中世の、箱根権現の様子が描かれているのだ。

B13071402

湖岸から社殿へ続く、長い石段は同じみたいだが、

周囲に、現在のような、鳥居や、鬱蒼とした杉木立は見当たらない。

B13071403

よく観ると、何と、ぎっしりと白描で、民家群が描きこまれている。

一寸した集落、否、立派な都市的な場だ。

しかも、上部の境目付近に、土塁か、切り岸状の線描(結界か)

も認められる。中世の箱根権現門前は、

山中にも拘らず、結構繁華だったのである。

杉木立を発掘すれば、かなりのものが出るかも知れぬ。

所謂「神さびた光景」に騙されてはいけないな。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月14日 (日)

伊豆山にて(11)

B13071301

伊豆山権現の正体については、大まかに謂って、三説、

…原始から、富士箱根伊豆火山帯で、活発に現われてきた、

 火山、地震、島、温泉などの、自然現象の神格化。

…法体、俗体、女体、本地仏と、応化所変する、

 修験道と密教の影響を受けた、

 中世世界の本地垂迹、仏神混交の権現神。

…古代に、半島の渡来民が請来した異国神。

に尽きるかと想われる。

現在の伊豆山神社が認める、三柱の祭神は、

記紀風土記、延喜式に依拠するところの、

近代の神仏分離、廃仏希釈の影響が濃厚と観て、

全く別に、考察を加える必要があるだろう。

筆者としては、前述三説に重きを置く立場だ。

さて、伊豆山を訪れたならば、各種守札は、さることながら、

別して、当山の、牛王宝印を拝受されることをお勧めしよう。

「走湯山宝印」と記される、独特の絵文字は、

もとより、熊野牛王のヤタ烏が有名だけど、こちらは、

中央の印の字が、二頭の絡まる竜になっている。

これは、紅白二頭の竜が、交合しながら、

頭部は伊豆山の地下、尾部は箱根山芦ノ湖の湖底に在り、

頭部の目鼻口より、絶えず噴気熱水(温泉)を発している、

と云う、所伝に基づくものだ。

やはり、此処の火山活動は、太古より鎮まること無く、

今も続いていることを、改めて思い知らされるわけだ。

B13071302

(捨身 ライツCL Mロッコール40㎜F2 PRO400/OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月13日 (土)

伊豆山にて(10)

B13071201

別当寺、般若院境内を探索してみよう。

弘法大師を祀る大師堂。

伊豆山の修験道は、高野山系の真言宗が次第に優勢になり、

弘法大師伝説が生まれる素地になった。

B13071202

歴代の別当、住持の墓所には、各時代の五輪塔が並ぶ。

今の神社の、JR熱海駅側の谷戸奥に、

斉藤別当実盛の墓と伝えられる五輪塔群(今回は未見)が、

在るようだが、其の辺りが、別当寺の旧地だったらしい。

ところで、伊豆山神社境内には、伊豆山郷土資料館がある。

興味深い史料を多数所蔵して居て、必見なのだが、

去年夏、奈良博の「頼朝と重源」展では、

鎌倉期の「伊豆山権現立像」を出展していた。

異形の神像なので、非常に魅かれたことを思い出した。

聞けば、奈良へ往った儘で、未だお戻りでないようだ。

尊容は、立烏帽子、翁面の俗体にも拘らず、袈裟を着ける。

やはり、高麗からの異神伝承のほうが、想起されてしまう。

B13071103

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月12日 (金)

伊豆山にて(9)

B13071101

伊豆山権現は、法体(僧形)俗体(翁)女体(女神)の三様で、

示現すると云う。故に三所権現とも称される。

其々の本地仏は、千手観音、阿弥陀如来、如意輪観音とされた。

山内には、観音堂、阿弥陀堂などの堂舎が、

建ち並んでいたと想われる。

温泉湯治の関わりで、薬師堂、地蔵堂も在ったかもしれない。

僧侶、修験者、神人たち、堂衆のトップは、

別当と呼ばれる、僧侶が務めたが、普通の僧と一寸違うのは、

京鎌倉の有力者の子弟が多く、妻帯、世襲もあり得たことか。

一方で、上記の所伝とは別に、「小田原北条記」は、

戦国期の天文年間、北条二代・氏綱が参詣した際に、

当時の別当が、此処の権現は、

古代、高麗国より渡来して、相模国府、大磯近くの、

高麗寺山(現・高来神社)に示現し、その後、仙人が、

伊豆山と箱根へ勧請したと語った、と記す。

実際、大磯辺りは、高句麗王族・若光らの、入植地であったから、

この伝承は、意味深長と謂えるだろう。

小田原北条氏絡みで、話を続けるならば、戦国期の伊豆山は、

彼らの絶大な支持で、支えられていたようだ。

その為、秀吉の小田原攻めに連座して、

全山焼討ちの憂き目に遭ってしまう。

復興を援助したのは、やはり、家康だった。

B13071102

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月11日 (木)

伊豆山にて(8)

B13071001

伊豆山まで、やって来るバスの中で、

道沿いに、ずらっと五輪塔が並んでいるのが目に入る。

気になったので、帰りのバスを飛び降りた。

山内の彼方此方に在った、五輪塔を集めたらしく、

かなりが、中世のもののようだ。

最寄のバス停は「般若院前」と云う。

実を謂うと、般若院は、伊豆山の別当寺で、明治の神仏分離で、

神域から分割されて、此処に移されていたのだ。

現在は、高野山系の真言宗だが、江戸期以前の伊豆山は、

真言系と、比叡山の天台系の修験者が入り混じっていたらしい。

その肝心な、伊豆山の仏神混合のことに触れて、

今回の稿を締め括るとしよう。

B13071002

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

| | コメント (0)

2013年7月10日 (水)

箱根権現(1)

B13070901

この山は、絶えず、太平洋からの湿った風が当たり、

雲が沸き立って、カラッとするところがない。

其の為か、何か底知れないものを孕んでいるような、

怖ろしげなイメージが付き纏うのだ。

B13070902

青々とした草原に、一陣の風が吹き抜け…

B13070903

山上に、突如として現れる湖水は、あくまでも蒼く…

新宿発の高速バスを使えば、

終点が、箱根神社境内に至近なのを知って、

正午のバスに飛び乗った。

三島、伊豆山、箱根権現、三所締め括りの、探索を開始しよう。

(伊豆山のほうも、あと一寸続きます。お付き合い下さい)

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月 9日 (火)

伊豆山にて(7)

B13070801

熱海の伊豆山は、非常に興味深い所だと判ったけれど、

如何せん、毎度のことながら、探索の時間が限られている。

今回も、面白そうなスポットをいくつも外してしまった。

現在の伊豆山神社境内を出た周辺にも、

中世の隆盛期の痕跡が、発見出来るはずだ。

上は、末枯れた風情が好ましい、宿防めいた社務所。

B13070802

下車した鳥居前のバス停は、参道の中腹だった。

B13070803

遥か下へ続く参道を、一寸覘いてみた。

石段は、山麓の国道135線から始まり、

途中、その下を東海道本線と新幹線のトンネルが通る。

「権現坂」と呼ぶ。

さすがに、降りてみる時間は無いな。

熱海一帯は、地震と火山活動で、

大規模な地滑りと、陥没を繰り返していたようだ。

多くの中世遺跡が埋もれ、海中遺跡の存在も囁かれている。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

| | コメント (0)

2013年7月 8日 (月)

伊豆山にて(6)

B13070701

何人かの、女性の参拝者と往き合った。

頼朝と政子の逢瀬の場とも、伝えられるだけあって、

今でも、恃む人が少なくないようだ。

一遍聖絵の三島社頭の場面を想い出した。

其処でも、女性の姿が目立っていた。

何だかんだ云っても、

中世人と通低するもの、或いは、人としての心延え(こころばえ)を、

否定出来ないで居る。

それはそれで、いいのだ。

B13070702

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月 7日 (日)

伊豆山にて(5)

B13070601

中世世界での、伊豆山の隆盛は大したものだったらしい。

伊豆山を中心とした、現在の熱海一帯は神域であり、

堂舎、僧坊が立ち並んでいたことだろう。

もとより、結界の内は、世俗の権力が及ばないアジールである。

しかも、数千人を越える、僧侶、修験者、神人が武装し、

僧兵となって、堅固に守っていたはずだ。

参詣者は、先達の修験者の案内で、宿坊に泊り、

祈祷を受け、山内に沸き出る温泉で湯治して、

身も心も、生き返って、下界へ戻って往った。

まぁ、温泉観光の原点のようなものとも謂えるけれど、

是正に、伊豆山権現の強力な霊験に与ったわけだ。

伊豆の流人、頼朝は、しばしば、窮地に陥ると、

政子共々、伊豆山へ逃げ込んだと云われるが、

それほどに、頼りになる存在だったのだ。

その一方で、伊豆山は諸国に広大な所領を持つに至り、

各地の所領にも、配下の修験者を置いて、

東国における影響力は増すばかりだった。

B13070602

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

| | コメント (0)

2013年7月 6日 (土)

伊豆山にて(4)

B13070501

伊豆山は、今でこそ、ごく有り触れた、神社の体裁を整えるが、

中世世界では、伊豆山権現、あるいは走湯権現とも呼ばれる、

一大聖地、修験道場=寺や神社の枠を超越した、

 仏神混交の、修験者たちが集う、一大センターである=として、

諸国に、音に聞こえた存在だった。

よく引用される、梁塵秘抄では、こうも謡われる。

…四方の霊験所は、伊豆の走湯、信濃の戸隠、

 駿河の富士の山、伯きの大山、丹後の成相とか、

 土佐の室生戸、隠岐の志度の道場とこそ聞け…

走湯(はしりゆ=そうとう)権現と云うのは、

走るが如く、温泉が湧き出し、海に注ぐ有様を畏れ、

敬って、神と祀った所以であろう。

もとより、富士箱根伊豆火山帯の火山活動そのものが、

此処の神の正体なのだ。

B13070502

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

| | コメント (0)

2013年7月 5日 (金)

伊豆山にて(3)

B13070401

石段の頂上近く右側に、石垣を巡らし、

崖に張り付くように建つ、昭和初期風の古民家は、社務所だった。

宿坊めいて居て、風情も悪くない。

B13070402

さて、あと一息だな。

B13070403

頂上に至ると、海抜170mと云う、眺望が開けた。

右側がJR熱海駅方向、東海道線と新幹線のトンネルが観える。

上方右に突き出るのが伊豆半島で、海上の白雲の下に、

大島の影がうっすらと浮かび上がる。

場面では、然程ではないが、現場に立つと、

かなりの大きさを感じ、向きも正面に近いのが判る。

一朝、この火山島が跳ねた時は、その「神火」遥拝の、

適地になるのではないかと想う。

もとより、島も、此処の神を構成する大事な要素なのだ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10) 

| | コメント (2)

2013年7月 4日 (木)

伊豆山にて(2)

B13070301

今回の目的地、伊豆山神社は、

熱海駅から北へ1.5キロの所に在る。普通なら、歩く距離だが、

熱海は、海から急激に立ち上がる傾斜地で、

水平距離は近くても、アップダウンは結構なものとなる。

因って、バスを頼るに如かずなのだ。

幸い、駅前発が一時間に三本程度と、比較的便数が多い。

B13070302

一の鳥居の、直ぐ前がバス停だ。

鳥居を潜り、石段を登り始める。

鬱蒼とした社叢に、包まれた風情は悪くない。

B13070303

中間点の辺り、二の鳥居を過ぎて、振り返ってみる。

わりと、高度感がある。

B13070304

弾んだ息を鎮めて、もう一寸だ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月 3日 (水)

伊豆山にて(1)

B13070201

梅雨明けには、未だ早いけど、

この晴れ間が惜しくて、

新横浜から、こだまの自由席に飛び乗ってい居た。

B13070202

車窓、緑の田圃が飛んで往く。

B13070203

箱根の山も、厚い雲の中だ。

B13070204

熱海駅に降り立つのに、三十分とかからなかった。

久し振りの伊豆の海、あの頃の儘の色。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

2013年7月 2日 (火)

母子二人

B13070101

読もう読もうと想って居て、つい一寸、忘れていた。

「大坂アースダイバー」(中沢新一 2012/10 講談社刊)

早速、Amazonにて入手する。

此のところ、また、読むべき書が溜まってきた。

腰を落ち着けて、書見に励まねばならぬ。

…………………

先日、東博で観た「北野天神縁起絵巻」(弘安本 重文 鎌倉13C)

の母子二人(童髪は少年だろう)

小社に幣帛を捧げ、何事か祈願している。

手を合わせながら、息子の背を見遣り、言葉をかける、

若い母親の表情がいい。

時を越えて、中世人の気持ちが直に伝わってくる。

心温まる一場面だ。

(捨身 OLYMPUS XZ-10)

| | コメント (0)

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »