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2013年8月18日 (日)

G1Xを試しに、再び箱根山中へ(13)

B13081701

江戸期に入ると、東海道の道筋が変わり、

芦ノ湖畔沿いの道が開けたと云うので、

「賽の河原」が、精進池畔から、此処へ移される。

その際、多くの石仏石塔も、運ばれたらしい。

爾来、精進池畔のほうを「元賽の河原」と呼んだ。

新しい「賽の河原」の山側には、再び地蔵堂が立ち並び、

念仏衆や時衆が集い、旅人に喜捨を募り始めた。

喜捨をすると、彼らは札を渡してくれる。

旅人は、その札に小石を載せて湖へ沈めた。

湖底の地獄で苦しむ、死んだ子らに、功徳となって、

少しでも、その苦しみを和らげんが為に、である。

B13081702

現在、バスターミナルの駐車場の一角に、

石仏石塔、五十四基を残すのみだが、

天保年間には、銅仏二像、石仏二十一像、

石塔、板碑、百○九基を数えたと記録されている。

(捨身 Canon G1X)

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