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2013年8月 4日 (日)

G1Xを試しに、再び箱根山中へ(3)

B13080301

この集落を、畑宿(畑の宿)という。

近世東海道の、所謂、箱根八里とは、

小田原宿から箱根関所までの四里と、関所から三島宿までの、

四里を呼び、ほぼ一日分の行程だった。

とくに畑宿からは、急坂が続き、難所となる。

小田原宿と箱根宿の「間の宿」として、賑わっていたようだ。

早朝、小田原を出立した、近世の旅人は、

此処で、湯漬けなどを食って、休憩を取った。

宿の西はずれには、近世東海道の石畳と、

日本橋から23番目の、一里塚遺構が残っている。

B13080302

街道を挟み、左右一対で、完全形である。

道祖神、塞の神も、そうだったと想う。

おそらく、古代、中世以来の作法であり、

近世の一里塚は、それを踏襲しただけなのだ。

旅人の、距離の目安や、休息の場とも云われるけれど、

本来は、道(人馬のみならず、疫病神、怨霊も通った)

に対する、宗教的儀礼の一つだったのではないだろうか。

B13080303

(上中下)左右の一里塚を示す。円形状の石積みで基礎を造り、

小石を積み上げ、表面を土盛りで覆い、

頂上に植樹したことが、発掘調査で判っている。

(捨身 Canon G1X)

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