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2013年9月の記事

2013年9月30日 (月)

朝比奈峠越え(10)

B13092901

さて、来し方を振り返りつつ、

朝比奈峠最高点を越えて、金沢・六浦側へ下ろう。

落石の危険もさることながら、この時季、

一寸気をつけたのは、スズメバチだ。

何回か遭遇し、回避行動をとらねばならなかった。

周囲を旋回するのを見たら、静かに後ずさりして、

その場から、退避するだけだが、大事である。

幼少期の、横浜金沢山中での経験が生きたわけだ。

一方、相変わらず、薮蚊の襲撃も盛んなので、

探索の友=防虫、虫さされ薬が必携なのは、謂うまでもない。

B13092902

最高点から、急坂を下った所に分岐があった。

此処で、一旦、鎌倉側より来れば、右手になる、

熊野神社への道を辿ってみることにした。

B13092903

道は、昼尚暗い、杉の植林帯の中を往く。

熊野社は、朝比奈峠を探索する上で、

キーワードとなる存在と、筆者はにらんでいる。

その辺りは、次回触れるとしよう。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月29日 (日)

朝比奈峠越え(9)

B13092801

岩壁に彫られた、磨崖仏の類か。

場所的に相応しいのは、

地蔵、あるいは阿弥陀仏だと想うのだが…

さらに、近づく。

B13092802

風化で判然としないが、右手に短い錫杖のようなもの?

左手に宝珠のようなもの?を持っているので、

(手印は、結んでいないようだ)地蔵らしい。しかし、

頭部に肉髻(にくけい=髻のように突起した肉塊)のようなもの?も、

認められるから、阿弥陀、薬師、釈迦の如来系にも観える。

一寸、変な石仏である。

しかも、稚拙で、職業的な仏師、石工の仕事とは考え難い。

(それ故か、銘文もない)

もとより、中世に遡るはずもなく、

(比べるにも、シンドイものがある)

敢えて謂えば、近世、江戸末期~近代の作か?

まぁ、近世以降、朝比奈切通しに、

かなり人手が入っている、証左とも、云えるだろうな。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月28日 (土)

朝比奈峠越え(8)

B13092701

どうやら、峠の頂上に着いたようだ。

この辺りの岩壁が、一番高いので、「大切通し」と呼ばれる。

六浦の上行寺東遺跡から、視認出来たのは、此処だろう。

B13092702

ん!岩壁に何か、刻まれているみたいだ。

近づいて、確認してみよう。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月27日 (金)

朝比奈峠越え(7)

B13092601

傾斜が、更にきつくなり、奥山の風情も深まってきた。

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両側の岩壁に、石造物が目に付くようになる。

脆い砂岩に、鑿跡がくっきりと残っているので、

比較的新しい、近世のものだろう。

B13092603

今でも、手向ける人がいるようだ。

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何かのほぞ穴に観える。

石造物のために、張り出し屋根を付けていたのだろうか。

それとも、木戸か、閂を設けた跡か。

朝比奈峠は、相模国と武蔵国の境目であったから、

関所(中世)や番所(近世)が在ったとしても、不思議ではない。

これは、一寸古いかも知れぬ。

(捨身 Canon G1X))

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2013年9月26日 (木)

朝比奈峠越え(6)

B13092501

程なく、左手に現われる、「朝比奈切通し」の道標に従って、

車止めを抜け、左折道へ入る。

B13092502

本格的な峠道が始まり、暫し登りが続く。

削り取られ、踏み固められた道床は、

ゴツゴツした砂岩に覆われる。両側も、むき出しの岩壁だ。

U字状に、地表面を掘り込んで普請した、典型的な「堀底道」で、

中世古道や、山城跡に、よく観られる遺構である。

進攻する軍勢を、両側の壁上から、攻撃するのに適した、

防御施設とも云われる。でも、大雨の時は、山の水が流入して、

川のようになり、旅人を難渋させたに違いない。

B13092503

やがて、古びた一体の地蔵尊に行き逢う。

江戸後期のものか。

何合目だか判らないけれど、

「此処からが本番」って感じの、目印しのように見えた。

B13092504

来し方を振り返ってみる。

もう一寸だ。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月25日 (水)

朝比奈峠越え(5)

B13092401

人家が途絶えて、峠道らしくなってきた。

春秋は、気持ちの良いプロムナードだけれど、

盛夏の三浦半島の山々は、やりきれない蒸し暑さなのだ。

B13092402

深山幽谷の風情哉…

B13092403

太刀洗川は、いつしか、せせらぎになる。

中世の旅人も、喉を潤していたのだろうか。

水源のある場は、人馬が集まり易かったはずで、

現在とは、全く異なった、繁華な光景が展開していたと想う。

この辺りまで、ぎっしりと、

掘っ立て小屋が立ち並んでいかもしれぬ。

B13092404

やがて、せせらぎは、小さな滝となって、山中へ消える。

小さいと謂っても、滝は滝で、仏神が霊験を現す所でもある。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月24日 (火)

朝比奈峠越え(4)

B13092301

光触寺は、朝比奈峠の登り口に一番近い寺だ。

つまり、鎌倉市中から観れば、境界地に位置する。

今では、何処となく、場末感が漂うけれど、中世世界では、

かなり賑わった、都市的な場であったことは、間違いない。

時衆が集う道場は、例外なく、そんな場所に建てられたからだ。

B13092203

時宗寺定番の、祖師・一遍像もちゃんとある。

B13092302

勿論、境界地の定番、地蔵尊も。

「塩嘗地蔵」(しおなめじぞう)と呼ぶ。

金沢六浦の塩売り商人が、鎌倉へ入る時、

此処の地蔵に、塩を供える習わしがあったのだが、

帰る時には、必ず無くなっていたので、

地蔵が嘗めてしまったのだろうと、そんな名が付いたと云う。

この寺に匂う、ある種の好ましさは、

上記の伝説のように、中世鎌倉の民衆に、

親しまれた存在であったことにも、由るのだろう。

B13092303

さて、峠道へ戻ろう。

と謂っても、この辺りは、まだ住宅地の中だ。

古道は、滑川源流の一つ、大刀洗川(左側小河川)に沿って進む。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月23日 (月)

朝比奈峠越え(3)

B13092201

光触寺は、鎌倉では初めて訪れる、時宗寺だ。

こじんまりとはして居るが、

手入れの行き届いた、瀟洒なたたずまいの寺で、

今まで、探索した時宗寺とは、一寸違った印象だった。

B13092202

例の弘安五年(1282)の、一遍鎌倉入りの際に、

作阿と云う念仏者が、一遍に帰依し、

それまで真言宗だった寺を改めて、時宗道場にしたのが、

この寺の始まりと伝わっている。

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本堂脇に、一輪だけ咲いていた彼岸花哉…

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月22日 (日)

朝比奈峠越え(2)

B13092102

朝比奈峠を越える道は、金沢道、あるいは、六浦道と呼ぶ。

鶴ヶ丘八幡宮社前で、若宮大路と直交して、東へ向かう道で、

中世を通じて、鎌倉では、最重要道路のひとつだった。

ちょうど、三嶋大社と東海道の位置関係に似ている。

この道は、北条一族の拠点港湾だった、武州金沢・六浦津と、

鎌倉を結び、その先、海路を経て、房総半島にも繋がっていた。

室町中期、享徳の乱(1455)で、関東公方が鎌倉を落去すると、

一時的に寂れたと想われるが、江戸中期に至り、大山詣りの、

流行に併せて、江ノ島、藤沢(遊行寺)鎌倉、金沢八景を、

遊覧する道として、再び、賑わいを取り戻したようだ。

加えて、金沢は近世まで、製塩が盛んだったので、

塩を運んだ「塩の道」でもあった。

現在の県道204号線(金沢街道)は、ほぼ同じルートを辿るが、

朝比奈峠付近には、かつての古道の一部が現存する。

其処を、今回の探索地に決めたわけだ。

B13092103

この辺りは、鎌倉市中を流れる滑川の源流域に近い。

B13092104

さて、峠道に入る前に、とある時宗寺を訪ねてみることにした。

光触寺(こうそくじ)と云う。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月21日 (土)

朝比奈峠越え(1)

B13092001

秋晴れが続いて居る。

この機会逃さじと、鎌倉と武州金沢・六浦の津を結ぶ、

中世古道、朝比奈峠を一寸探索してきた。

実に、当ブログを始めた、六年前からの懸案なのである。

B13092002

今秋、最初の彼岸花が綻んでいた。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月10日 (火)

武州・御嶽山へ登る(13)

B13090901

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武州・御嶽山の探索を終える。

参考文献は、あまり多くないのだが、

とりあえず、下記の二冊を入手し、読み始めたところだ。

「オオカミの護符」

 (小倉美惠子著 2011 新潮社)

「山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門」

 (総本山金峯山寺編著 2010) 

暑さもおさまり、秋風が吹き始めている。

季節は、お誂え向きになってきた。

さて、次は何処を探索しようか。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月 8日 (日)

武州・御嶽山へ登る(12)

B13090701

「大口真神」(おおぐちのまかみ)とは、謂うまでもなく、

おいぬ様=日本狼である。

御嶽山では、神使とされ、境内一番奥の摂社に祀られる。

日本狼は、明治維新を境に、各地で目撃例が絶えて久しく、

現在は、絶滅したと考えられている。

関東の山沿いでは、田畑を荒らす、鹿、猪、猿を獲る益獣から、

転じて、火難、盗難避けの神として、信仰が広がっていたようだ。

筆者母方、所沢の実家でも、秩父三峰社のおいぬ様を信仰し、

護符を戸口に貼っていたと聞く。

狭山茶を商っていた祖父は、毎年、三峰山から護符を受けていた。

登拝の帰り道、見知らぬ犬が、

見え隠れしながら、後をつけて来て、家近くで、かき消すように、

見えなくなると云う話を、よくしていたらしい。

そうなれば、しめたもので、ご利益があった証しなのだった。

祖父の吉例に習い、護符を受けることにした。

境内のご神木(大杉)に、レーザーで刻み込んだ、

一寸洒落た「新製品」だ。

B13090702

(捨身 上G1X 下XZ-10)

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2013年9月 6日 (金)

武州・御嶽山へ登る(11)

B13090501

探索では、集落や社殿など、目に付き易い建造物のほうに、

眼差しを向けがちだけれど、

一方で、足下に向けることも、重要になってくる。

意外な課題が見つかり、広がっていく可能性があるのだ。

B13090502

植物方面は、全く疎いにしても、植生には、気を配っている。

社殿裏でひっそりと咲いていた、レンゲショウマ。

ちょうど、シーズンとあって、これを目指す人が多かった。

もとより、人出の群生地は避けるに如かずだが。

B13090503

参道の比較的目立つ場所で、なんとトリカブトを見つけた。

これには、自生というよりも、人手を感じてしまう。

山内の、修験者や御師の中に、医薬の心得を持つ者が居て、

屋敷近くに植えたのかもしれないと、想いが広がって往くわけだ。

トリカブトから採れる「附子」(ぶす)は、

少量で生薬の原料とするが、非常の時は、匙加減で毒薬となる。

戦国期、こういった特殊技能は、引っ張りだこであったろう。

八王子城主の北条氏照も、様々な技能に長けた修験者を、

日頃から身近に置き、召し使っていたふしが濃厚である。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月 5日 (木)

武州・御嶽山へ登る(10)

B13090302

上は、摂社・常盤竪磐社として使用されている、

山内唯一の、中世建築(永正三年=1511)旧本殿。

現在の本殿は、神仏分離以降の、明治10年造営、

神明造(伊勢神宮様式)だが、もとより、当地の歴史に沿わず、

正直、あまりいただけない建造物だ。

B13090401

週末にもかかわらず、境内は静かだった。

一時、グラフレックスDを駆使する年配撮影者と、

ペンデジ青年、ライカCLの筆者、三人だけになり、

シャッター音のみが響き渡る。

何とも、神寂びた風情であることよ…

B13090303

玉垣に囲まれた本殿前に、一風変わった狛犬が居た。

おいぬ(大犬、御犬)=狼である。

此の云われについても、触れねばなるまい。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月 4日 (水)

武州・御嶽山へ登る(9)

B13090301

折角なので、蔵王権現の尊様を示す。

最近入手した、鳥取の三徳山・三佛寺、投げ入れ堂の本尊、

(平安後期・重文)を、モデルにしたフィギュアである。

蔵王権現が図像化されたのも、平安中期を遡るまい。

神仏習合、本地垂迹説の盛行と機を一にしよう。

修験者が帰依するところの、山林、山野、深山の、

原初的で、霊的な存在を、「仏」として、具現化したものとしか、

謂いようが無い(釈迦、千手、弥勒の習合とも云うが)

もっと遡れば、道教的、あるいは縄文的なものへ、

行き着くかもしれないが、あまりの深さで、此処では手に負えぬ。

現在、武蔵御嶽神社の宝物殿(土日のみ開館)に、

室町・鎌倉期の、蔵王権現の懸仏が数点、

所蔵されているので、拝観をお勧めしておく。

ついでながら、都下では稀有の、中世甲冑の名品、

(赤糸威鎧 伝畠山重忠奉納 平安後期・国宝)も見逃せない。

B13090304

(捨身 上G1X 下XZ-10)

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2013年9月 3日 (火)

武州・御嶽山へ登る(8)

B13090201

石段の、頂上手前コーナーに在るのが社務所だ。

伊豆山権現もそうだったな。

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社務所前から、もう一段登って…

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武蔵御嶽神社の幣拝殿に辿り着いた。

此処では、武蔵御嶽社と呼んでいるけど、

これは、昭和二十七年以降の名称である。

その前、明治七年からは、御嶽神社で、

もっと前、神仏分離以前の江戸期までは「御嶽大権現」だった。

「御嶽大権現」とは、修験道の仏、蔵王権現のことに他ならない。

現在の祭神は、近代以降の話であるので、さて置き、

まず、此の不思議な仏の正体について、調べてみる必要がある。

(捨身 Canon G1X)

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2013年9月 1日 (日)

武州・御嶽山へ登る(7)

B13083101

石段の始まりと鳥居を、一度振り返り、

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随身門を潜る。

此処からも眺望が愉しめる。

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見上げると、さらに石段が続く。

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これが意外にある。

何回か曲りくねって…

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どうやら、最後のコーナーを過ぎ、

ゴールが見えて来た。

(捨身 Canon G1X)

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