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2013年10月21日 (月)

富士参詣曼荼羅図を観る(2)

B13102001

浅間大社の富士参詣曼荼羅図を観て、

一寸気が付いたことがある。

ひょっとして、中世末の戦国期は、

富士信仰の、謂わば、第一次ブームだったのではないかと。

江戸中期以降は、第二次ブームに過ぎないことになる)

そう考えると、その時期の、駿河、甲斐、相模、武蔵の、

政治情勢でも、想い当るフシが出てくる。

駿河の今川、甲斐の武田、相模の北条は、相争っていたが、

所謂、甲相駿三国同盟(天文23=1554)で、一時的に手打ちをする。

もとより、其々に、領土的野心や、政治的な思惑もあるけれど、

もう一つの側面として、富士信仰ブームの影響が、

あったように、感じられるのだ。

高尾山薬王院の、富士を遥拝出来る場所に、

摂社が祀られているが、それは、武田、今川と対立した際に、

領民の富士参拝が難しくなったため、北条氏康が設けたとされる。

領内に、浅間社、登山口、門前市を有する、駿河、甲斐の、

今川、武田にしても、諸国の巡礼者が落す、関銭、津料などで、

潤っていたはずであり、相模、武蔵の参拝者が、

戦乱のせいで、やって来ないのは、困るわけだ。

三者手打ちの裏に、こんな、宗教的、経済的、打算が、

存在したとしても、不思議ではない。

(この同盟の発案者と云われる、今川の軍師、太原雪斎は、

 参詣曼荼羅に描かれた、清見寺の住持を務めていたとも!)

背面に、当時流行の富士山をあしらった、具足を見つけた。

(捨身上 伝明智光春所用 南蛮胴具足 16C 東博所蔵)

戦国武将たちにとっても、

富士信仰は、外せないトレンドだったのではないか。

B13102002

三嶋近くの富士、静岡県美へ往った翌日は初冠雪だった。

(捨身 Canon S110)

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