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2013年10月16日 (水)

朝比奈峠越え つけたりとして(3)

B13101501

浄妙寺は、足利家二代の義兼が、自らの鎌倉館近くに建てた、

持仏堂が始まりと云う。当初は密教系だったが、

代を重ねるうちに、臨済宗に変わっている。

後に、尊氏の父、貞氏(大河・太平記では、緒形拳が演じた)が、

葬られ、一族の菩提寺の一つになった。

B13101502

現在、貞氏の墓所と伝わる、宝きょう印塔(明徳三年銘=1392)

が残る。

B13101503

背後の斜面より、六浦道が通る、谷戸を望む。

実は、この寺で、気になっていたことがある。

観応の擾乱(1350~52)で、兄弟相争った、尊氏と直義、

最後に、直義が武装解除されて、押し込められたのが、

ここ浄妙寺境内の塔頭だった。

程無く、彼は、不審死(太平記では、毒殺とする)を遂げ、

墓所も当地に営まれたことになっている。

足利直義は、例の、神護寺の肖像や、

無窓疎石との、仏教対話を記した「夢中問答集」などで、

筆者の興味が尽きない、中世人の一人である。

予て、彼の跡を辿ってみたいと、想っていたのだ。

(捨身 Canon G1X)

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