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2013年11月18日 (月)

奈良坂にて(5)

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そろそろ、中世の奈良坂の実相に、想いを廻らさねばなるまい。

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それには、この社の祭神、春日王とその子、

浄人王、安貴王兄弟の物語の、続きを辿る必要がある。

ライ(ハンセン病)に、

「ライ」「白(びゃく)ライ」「黒(こく)ライ」の三種があると云う。

「白ライ」に罹患した父春日王と、介護する兄弟たちは、

奈良坂に棲んだ。

兄弟は「夙冠者黒人」(しゅくのかじゃくろひと)と呼ばれた。

またしても「白と黒」だが、この言葉の暗示する意味については、

あまりに、深遠なので、此処では触れない。

いつしか、辺りに、ライを患った、非人、乞食の夙(宿)が出来、

彼らが喜捨を乞う場=「乞場」(こつば)になっていった。

今は、地名として残っていないが、「北山宿」である。

大仏道を奈良へ向かう旅人は、奈良豆比古社前に着くと、

たちまち、乞食たちの群れに囲まれたであろう。

鉢を握る手、手が差し出され「施行ひかせ給へや」と。

中世世界では、ライの病は、前世の罪業の因果とされた。

あるいは、ライ者自身が、仏の化現とも云われた。

路上で、彼らに手を合わせる光景も観られたはずだ。

信心深く、罪業を畏れ、「善根を積むは今世ぞ」と願う者は、

多目の喜捨をしたに違いない。

絵画史料に、そんな場面はないかと探したら、

やはり「一遍聖絵」だった。

京の西方、桂の辺、同じく街道沿いの「乞場」に集う乞食たち。

今、侍女を従えた女性二人(左下)が施しをしようとしている。

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(捨身 Canon G1X S110)

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