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2013年11月11日 (月)

富士山本宮浅間社へ参る(9)

B13111001

もとより、当地はお膝元であるので、市内の何処からでも、

富士を望むことが出来る。

でも、今回、筆者が、麗しいなんて想うことは、

一切無かったと、謂っていい。

3.11以後、大いなる自然を観る度に、畏怖心と云うか、

徒ならぬ威圧感と云うのか、ぬうっと、湧き上がるが如くで、

とても、心中穏やかにはなれないのだ。

今春、境川の河口で、江ノ島を観た時も、そうだった。

恐らく、感覚が、中世人の、あるいは古代人のそれに、

先祖返りをしたように、呼び覚まされたのかもしれぬ。

B13111002

威圧するもの=仏神であろうか。

中世世界では、富士が大いに暴れた記憶が生々しかったから、

同じような感覚を持つ人々が、殆どだったはずだ。

唯、手を合わせ、平伏すか、その怖ろしい力を、

何とか分けて頂いて、「霊験」とするしかないのである。

富士を、美的に鑑賞するなんてことが、流行ってきたのは、

活動が鎮まってくる、近代、江戸後期以降のことだろう。

爾来、鳴りを潜めて、現代に至っている次第で、

これは、束の間の、まったく新しい流儀に過ぎないわけだ。

B13111003

(捨身 Canon G1X)

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