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2013年11月22日 (金)

奈良坂にて(9)

B13112101

般若寺の楼門について、一寸触れる。

今の楼門は、恐らく二代目であろう。

前の門は、治承四年(1180)12月28日の晩、

平家の南都焼討ちで、焼亡した。

時の総大将、平重衡が指揮を執ったのが、この門前だった。

場所は、ほぼ変わっていないようだ。

B13112102

寺内より、楼門を観る。

奈良坂は、南都焼討ちの主戦場になったと平家物語は語る。

南都の大衆(僧兵)たちは、この楼門前の路上と、

「坂本」(この先の坂下)に、防砦を構えて、平家方を待ち受けたが、

早暁に開戦、夕刻には打ち破られたとある。

B13112103

奈良坂を進撃する重衡一行の姿が描かれていた。

後に、南都へ引き渡され、処刑された重衡の首が、

晒された(平家では「釘打ち」されたとする)のも、この門前である。

楼門は焼け落ちた状態であったろう。

頼長の墓標と云う「大卒塔婆」が立っていただけらしい。

そうそう、当地は、あの悪左府、頼長の故地でもあるのだ。

それについては、後述しよう。

般若寺は「コスモス寺」として、人気だそうだ。

(捨身 Canon G1X) 

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