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2013年12月 4日 (水)

奈良坂にて(16)

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既述のように、奈良坂には、中世世界を通じて、

ライ者(ハンセン病)乞食非人が、集住する集落が在り、

「北山宿」と呼ばれていた。その位置は、般若寺の北東、

奈良豆比古神社までの間とみられている。

鎌倉後期より、西大寺の叡尊、忍性ら、真言律宗の人々が、

般若寺を拠点に、救済活動に従事するようになる。

B13120102

温室=湯屋(浴室)などが建てられたが、その中に、

「北山十八間戸」のもとになった施設があったらしい。

現存の建物は、永禄十年(1567)の東大寺大仏殿の戦いで、

焼失した後、般若坂下に移転し(江戸初期建立とも)

以前の様式に倣って、建てられたものだ。

東西長さ37.2m、十八の部屋に別れ、ライ者を収容し、

それぞれ正面に入り口を持つ、長屋形式である。

現状は公開しておらず、中に入ることは出来ない。

フェンスの外側から、窺い観るのみだ。

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各部屋の戸口に、刻まれた「北山十八間戸」の文字。

さて、昼近くになったので、次の探索地へ向かおう。

般若坂下を過ぎると、佐保川橋だ。境界地の典型だが、

中世の旅人は、この橋を渡る時にも、橋賃を取られた。

洪水でよく流され、架け替えがある為で、その資金の勧進と云う。

最寄バス停「今在家」(意味深な名前だが、詮索の時間無し)にて、

再び路線バスに乗り、奈良市中へ戻る。

*入院中の予定稿を用意しました。零時にアップされます。

  ご覧下されば、幸いです。

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(捨身 Canon G1X)

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