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2013年12月22日 (日)

元興寺・奈良町界隈へ(6)

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「辻子」(厨子、通子、図子=ずし)と云うのは、一寸説明が難しい。

古代の条坊制の上に発達した、中世以降の都市的な場に於いて、

区画の中を貫くように、拓かれた小路、細道を指す、とでも謂おうか。

その区画を、向こう側まで貫いていれば、「突抜」(つきぬけ)とか、

呼んだりする。今で云うところの、路地裏、横丁のようなものと、

捉えたら、いいかもしれない。

もとより、京都、奈良、鎌倉、博多などの、大きな都市に多い。

奈良町の典型的な、横に貫く小路を示す(上)

観てのとおり、大人三人ほどの道幅で、軽自動車がやっとだ。

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「辻子」に沿って、建ち並んだのは、町屋、店棚は勿論だが、

特に盛んだったのは、遊女屋である。

現存の「辻子」を描いた絵画史料でも、その賑わいが窺える。

やはり、上杉本・洛中洛外図屏風が出色だろう(下)

京、「畠山辻子」の様子。遊女たちが小路を往く人々の、

袖を引っ張って、客引きをしている。何と、黒衣の坊さんは、

戸口に佇む遊女に、殊の外、ご執心のようだ。

扇や笠、覆面で顔を隠し、遊女屋を訪れる客たち。

身分を窶し、日常を脱して「無縁」の姿になるわけだ。

こういった「伝統」、ひょっとしたら、未だ、

いろいろな場面で、生きているんじゃないだろうか。

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(捨身 Canon G1X/S110)

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