河越で中世を探す(11)
かつての、河越城内を彷徨う。
何処かに、中世世界の縁をと、想うのだが、なかなかに苦労する。
何の変哲の無い住宅街を、延々と歩き、本丸跡に辿り着くと、
一寸開け、市立博物館と美術館が建ち並ぶゾーンに出た。
鉢形城の博物館もそうだったけど、埼玉県内のこういった施設は、
新しく、立派なところが多いみいだ。
立ち寄って見学、史料と情報を仕入れたのは勿論である。
城の北端に至る。
水堀の役割を果たした、新河岸川が流れる。
新河岸川は、江戸期の開削工事により、
荒川、隅田川水系と繫がれ、江戸へ水運で明治期まで栄えた。
喜多院の近くには、大きな河岸場(川湊)も出来ている。
此の辺りは上流部で、元は赤間川と呼ばれ、
入間川流域の湧水群が水源になっていた。
中世の景観は、点々と湖沼が続く、低湿地だったようだ。
(捨身 Canon G1X)
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