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2014年1月19日 (日)

河越で中世を探す(5)

B14011801

喜多院の山門前に、日枝山王社がある。

比叡山・天台宗の鎮守神だから、当然、不可分なのだが、

やはり、明治の神仏分離で別れている。

こぢんまりとした社で、戦国期の様式を残し、重文指定だ。

ついでながら、川越市は、関東では、鎌倉、日光に次いで、

文化財が多い町だそうだ。喜多院、仙波東照宮始め、

江戸初期の重文指定の建造物群が現存する。

B14011802

さて、喜多院を出て、住宅街を抜け、

近世・河越の、城下町地区へ歩を進めよう。

古い町には、和菓子店が目に付くけれど、当地もそうだ。

せんべい、団子、餡子か。

B14011803

まず、目指すのは、連雀町(れんじゃくまち)と決めていた。

家康の関東入部後、河越は、主に徳川譜代が封ぜられ、

川越藩が立藩されるが、寛永16年(1639)に藩主になった、

松平信綱が、河越城の大拡張、城下町の整備を行う。

現状の町並みは、それが元になっている。

連雀町も、その時に造られたようだが、実は、以前の、

戦国期・北条時代に、既に存在し、移転してきたものなのだ。

B14011804

もとより、連雀町とは、連雀商人連雀衆)たちが、

集住させられた町である。

このような町名は、各地の城下町に見出せるが、

連雀衆は、近世に入ると、歴史の表舞台から、

消え去って往く集団なので、中世世界の遺物と謂っていいと想う。

連雀町の探索は、念願でもあった。

(捨身 Canon G1X)

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