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2014年1月22日 (水)

河越で中世を探す(6)

B14011901

中世を探すと云うことは、その前に立ちはだかる、

分厚い近世(江戸期)のフィルターを取り除くことから、

始めねばならない。これが、結構厄介な作業なのだ。

長い近世の間に、著しい改変があったり、

逆に、上手い具合に保存されていたり、一筋縄ではいかない。

さらに、その上に、近代のフィルターもかかっている。

河越の場合、「蔵造りの町並み」「小江戸」とか、

往時の風情がよく残っている町と、喧伝されているけれど、

実情は、改変が大きく、中世の姿を描くのは、

大変なのが判って来た。

でも、出来うる限り、推測も含むが、試みてみよう。

B14011902

連雀町は、中世末期から、近世初頭にかけて、

各地の戦国大名の城下に、置かれたことが判っている。

未だ、近世の城下町が、発展途上の段階である。

その頃、城下は「宿中」と呼ばれ、大手門前の一番いい場所が、

連雀衆に割り当てられていたようだ。

因みに、関東・東海・甲信の、他の町の例では、

(岩槻、松山、鉢形、前橋、箕輪、館林、甲府、静岡、

 浜松、岡崎など) ほぼ共通の特徴になっている。

現在の川越の連雀町については、川越城の大手門から、

離れたところに在って、状況を一寸複雑なものにしているわけだ。

さて、この所以は、後で触れるとして、連雀町の探索を続ける。

典型的な、末枯れた昭和の商店街になってきた。

辿る道は、川越市内を南北に貫く「所沢街道」と呼ばれる古道だ。

武蔵府中で甲州街道と交わる。中世まで遡る道と観ていいだろう。

B14011903

町の中ほどに、熊野神社が現われた。

連雀衆は、熊野山伏(修験)を先祖に持つ家系が多いから、

縁浅からぬものがある。ひょっとしたら、町の鎮守かもしれぬ。

B14011904

元は、道一つ隔てた「蓮馨寺」(れんけいじ)が別当寺だった。

浄土宗の、この寺は、戦国期に河越城代を務めた、

小田原北条家重臣、大道寺氏が建てたもので、

宿中の管理を任されていたらしい。

(捨身 Canon G1X)

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