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2014年4月19日 (土)

極楽寺坂から長谷観音へ(19)

B14041604

話を「針磨橋」に戻そう。道の向かい側には、古い石碑もある。

中世世界の、この辺りの様子を、一寸想い描いてみた。

極楽寺坂(現在は江ノ電の線路も)と、極楽寺川がなぞる、

谷戸沿いには、非人、乞食、らい者が集住する宿々と、

極楽寺が経営する、施療院、施薬院が在った。

もとより、極楽寺の結界の内である。

その真中を、極楽寺坂(極楽寺道)が通っている。

「針磨橋」が西の境界で、木戸と関所が置かれた。

橋を渡り、鎌倉へ入ろうとする、中世の旅人は、此処で、

関銭(通行税)を取られたはずだ。極楽寺坂を開削したり、

「針磨橋」を架けた費用=勧進を要求されたわけで、

極楽寺は、謂わば徴税権を幕府から付与されていたのだ。

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橋の袂には、奈良坂のように、非人、乞食、らい者のための、

「乞場」が、設けられたのではないか。

中世の旅人は、関銭の他に、喜捨もせがまれた。

非人たちの中には、針を売る者(針磨)も居ただろう。

いつしか「針磨」は、この橋の名物になり、橋の呼名となる。

現在の極楽寺川は、上掲の如く、護岸と暗渠だ。

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「針磨橋」の賽の神、楠の古木を見上げる。

さほど大きくないのだが、風格は満点だった。

(捨身 Canon G1X)

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