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2014年4月22日 (火)

極楽寺坂から長谷観音へ(21)

B14042101

江ノ電を見送ってから、中世古道のクランク(鉤の手)ことで、

想いを廻らしてみた。

朝比奈切り通しへ向かう、六浦道(むつらみち)でも、

鶴岡八幡宮前を出て、宝戒寺を過ぎた辺りで、

「筋違(換)橋」(すじかえばし)と云う橋跡があり、

同様に道がクランクしていたようだ。

どうも往時は、クランク(鉤の手)を「筋違」(すじかえ)とも、

呼び習わしていたふしが感じられる。

調べると、京都、大坂、江戸に「筋違橋」の地名が見出され、

いずれも、幹線道路のクランク(鉤の手)の痕跡が認め得る。

江戸の「筋違橋」は、今の万世橋辺りで、ちゃんと江戸城の、

「見付」を伴っていた。京都、大坂の例は未確認だが、

各地の、中世の都市的な場と古道の遺跡でも、

同じような事例が、発見出来るのではないか。

今まで、街道のクランク(鉤の手)は、

近世城下町の防御施設と捉えるのが定説だったけれど、

もとより筆者は、賽の神や道祖神のように、道を通って、

外界から来訪する「厄病神」(疫病)や怨霊を防ぐ、

呪術的な意味が、込められていたのではないかと、

密かに睨み、こだわり続けて居るわけだ。

B14042102

さて、極楽寺川に沿った、この谷戸内を一寸探索してみよう。

細い路地へ、足を踏み入れる。

B14042103

狭い谷間を極楽寺川は、こんな具合に流れ往く。

(捨身 Canon G1X)

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