« 極楽寺坂から長谷観音へ(21) | トップページ | 極楽寺坂から長谷観音へ(23) »

2014年4月23日 (水)

極楽寺坂から長谷観音へ(22)

B14042201

谷戸の内は、両側から斜面が迫り、

狭く入組んだ住宅地になっている。

家々の屋根を渡して、鯉幟りが泳いでいた。

季節は動いて居るな。

中世古道に於ける、クランク(鉤の手)考の、続きだけど、

これからは「筋違(替)」(すじかえ)と呼ぶことにしよう。

近世の、五街道や城下町に観られるものとの間に、

継続性や関連性は認めつつも、明確に区別したいと想っている。

まず、規模の違いは大きいだろう。

中世古道の「筋違」は、軍事目的と云うには、あまりに小さ過ぎる。

5m以下の、ミュニチュアめいた代物で、しばしば見落とすほどだ。

それに比して、近世の「筋違」は、

(例えば、藤沢・遊行寺門前とか)

俗に「大曲」(おおまがり)と称することもあるくらい、結構があって、

軍事目的、あるいは「火除け地」と云うのも、納得が往くのだ。

B14042202

さて、谷戸の路地を進もう。

聞こえるのは、鶯の谷渡りと、

時たま走り去る、江ノ電の音だけである。

B14042203

廃屋と空き地を通り抜け、道はやや登りになった。

(捨身 Canon G1X)

|

« 極楽寺坂から長谷観音へ(21) | トップページ | 極楽寺坂から長谷観音へ(23) »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 極楽寺坂から長谷観音へ(21) | トップページ | 極楽寺坂から長谷観音へ(23) »