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2014年4月29日 (火)

極楽寺坂から長谷観音へ(28)

B14042801

ところで、中世の極楽寺坂に在った非人宿は、

いつ頃まで存続していたのだろうか。

救済施設を経営していた極楽寺は、室町中期(応永年間)の、

大火で著しく衰微し、以後の再建は難しくなって往ったようだ。

非人宿のほうは、鶴岡八幡宮寺の清めや警護、

祭礼の先触れ役などを務めていたから、

享徳の乱で、鎌倉公方が古河へ落去して、

鎌倉が荒廃し始めた戦国期も、小田原北条氏の庇護下で、

活動していたことが判っている。

小田原攻め、家康の関東入府で、大きな変化が現われる。

極楽寺坂の非人頭(長吏)の一人が、家康に取り立てられ、

江戸市中、関八州の非人頭、浅草の「弾左衛門」の祖に、

なったと云うのだ。彼らが享保年間に奉行所へ提出した、

所謂「由緒書」に、その経緯が出てくるが、幾らかの身贔屓は、

割り引くにしても、納得出来る所伝が多い。

ついでながら、証拠として、引用されている「頼朝の御証文」は、

中世後期から近世初頭にかけて、職能民の間で流行った、

典型的な「偽文書」である。

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「弾左衛門」が出て往った後の、極楽寺坂非人宿は、

江戸期を通じて営まれ、明治維新を境に廃絶したと考えられる。

廃仏毀釈で、鶴岡八幡宮寺の御用が途絶えたのも、

一因だったろう。

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さて、極楽寺谷戸奥から、踵を返して、もう一寸探索を続ける。

(捨身 Canon G1X)

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コメント

「弾左衛門」のルーツ、その信仰も興味深いところですが、明治の廃仏毀釈がなかったならばと考えずにはいられません。シャガの花がいいですね。

投稿: 平野 | 2014年4月28日 (月) 23時42分

今、鎌倉中の谷戸は、シャガをはじめ、様々な花々が咲き乱れていますよ。鎌倉の一年で一番いい季節かもしれません。
極楽寺と「弾左衛門」の関わりは意外に深いです。白山社も、その線上に浮かび上がるわけです。注意深く観察していけば、今でも痕跡は見出せますね。これは、歴史の中で、きちんと覚えなければならない「史実」だと想うのです。

投稿: kansuke | 2014年4月29日 (火) 16時08分

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