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2014年5月31日 (土)

富士吉田口へ(14)

B14053005

ここで、御師宿の、東側の結界を一寸外れて、

元亀三年(1573)の移転前に、宿があったと云う、

「古吉田」を覘いていこう。

その前に、「町割り復元図」の左側、やや下、

結界の括れた部分を確かめてみると(上)

不自然なL字カーブになって、ちゃんと残っていた。

B14053001

さて、辿ってきた道を戻り、地蔵堂墓地の脇道へ入る。

ほぼ、富士の軸線に沿ってきた。

B14053002

まず左手、木立に小社「中宿山神社」(なかじゅく・やまのかみ)だ。

祀るのは、大山祇神(おおやまつみのかみ)

つまり、大三島=三島明神である。

「市」も想起させるが、所伝では、元禄年間創建となっている。

「中宿」だから、まだ結界の内なのか。

B14053003

傍らに、また巨樹、今度は榎(えのき)だ。

やはり、樹齢数百年は越えそうだ。

大榎の直ぐ下を流れるのは「間堀川」

富士北麓の沢筋を源流とするが、江戸期には「村間堀」と呼ばれ、

宿の、外堀の役割を果たし、用水の取水源にもなっている。

此処が、本当の東側の結界だろう。

橋を渡った向こう側、吉田小学校のピンク色の、

建物辺りからが、「古吉田」=元宿だったわけだ。

B14053004

「間堀川」が護岸化されたのは戦後である。

それまでは、春先になると、「雪代」(ゆきしろ)が走り抜ける、

暴れ川だったのだ。

(捨身 Canon G1X)

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