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2014年5月 1日 (木)

極楽寺坂から長谷観音へ(30)

B14043001

阿仏尼邸址のことで、触れた「月影ヶ谷」(つきかげがやつ)は、

極楽寺の、一つ西隣の谷戸だ。一寸探索してみようか。

B14043002

江ノ電の踏み切りから観ると、さ程とは想えないけれど、

やはり、意外に深い谷戸だ。

阿仏尼邸とは別に、興味深い伝承がある。

この谷戸に、暦を作る者が住んだと云うのだ。

おそらく、陰陽師のことだろう。

例の「弾左衛門由緒書」で引用された「頼朝の御証文」に、

かつて、弾左衛門の先祖が、極楽寺坂の非人宿で、

支配を許されていた道々の輩の中に、陰陽師があった。

陰陽師も、非人の職能の一つに数えられていたようだ。

但し「御証文」が「偽文書」と謂われる理由も其処にある。

非人の携わる職能は、時代によって変動した。

「御証文」のそれは、頼朝の時代より、かなり増えており、

中世後期に該当する。ちょうど「七十一番職人歌合」の時代で、

列挙された職能も符合するわけだ。

ついでながら、京、奈良では「坂の者」と呼ぶことが多い。

非人宿が奈良坂や清水坂に在ったからだが、

極楽寺坂でも、当初は「坂の者」だった。

しかし、当地は谷戸地形で、宿も谷戸に散在する。

「谷戸の者」あるいは、鎌倉近辺の謂い方で、

「谷の者」(やつのもの)と呼んだかもしれぬ。

江戸期、浅草の「弾左衛門」手下の獄吏を、

「谷の者」(やのもの)と呼んだ。

「や」とは、谷戸の江戸近辺の謂い方である。

「弾左衛門」は「矢野」(やの)の名字も名乗っていた。

彼らの先祖は、極楽寺時代に縄張りであった、

由比ヶ浜に因み「由比の弾左衛門」を名乗ったと云う。

先祖が谷戸に棲んだ記憶を受け継いだのか、

「矢野」も「谷の」が起源のような気がするのだ。

B14043003

「月影ヶ谷」の最深部は、こんな感じだった。

潮騒を聞きながらの生活だったと、阿仏尼は「十六夜日記」に記す。

(捨身 Canon G1X)

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コメント

阿仏尼は浪の音、松の風を聴きながら、望郷の念にかられたのでしょうか。陰陽師ですか。谷戸は何か異形なものが行き着くところ、吹き寄せるところなのかもしれませんね。

投稿: 平野 | 2014年5月 1日 (木) 00時14分

仰る通りですね。この谷戸の不可思議さに、幼少期より魅かれ続けて居るわけです。

投稿: kansuke | 2014年5月 1日 (木) 21時39分

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