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2014年5月 3日 (土)

極楽寺坂から長谷観音へ(32)

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既に、極楽寺坂の古道(古東海道)を「針磨橋」まで往ったが、

その一寸先、江ノ電稲村ヶ崎駅まで、探索を続けよう。

駅の手前で、海を臨み、江ノ島方向へ右折する。

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反対側のコーナーに、近世の庚申塔が残っており、

片面の道標を「かまくらみち」と読めた。

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少し極楽寺よりの道沿いに、石碑と石塔群が観える。

「十一人塚」と呼ぶ。

元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、極楽寺坂は、

主要な進撃ルートだった。しかし、最初の攻撃は失敗し、

新田方の大将、大館宗氏以下十一人が討ち死にする。

切り通し両側の尾根上と、極楽寺に、北条方が、

鉄壁の守りを固めていたからである。

おそらく、極楽寺の広大な伽藍が、坂道(古東海道)を、

取り込むように配置され、いざとなれば、一朝にして、

堅固な城砦となるべく、周到に準備されていたのだと想う。

石塔群は、宗氏ら十一人を弔った十一面観音堂の跡と伝わる。

この後、義貞は軍勢を立て直し、稲村ヶ崎海沿いからの、

攻撃に切り替え、成功したのは周知の通りだ。

義貞の稲村ヶ崎突破は、五月二十一日夜、

翌二十二日、葛西ヶ谷・東勝寺で北条一族滅亡と云う。

今年も、もう直ぐその日を迎える。

(捨身 Canon G1X)

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