« 富士吉田口へ(8) | トップページ | 富士吉田口へ(10) »

2014年5月26日 (月)

富士吉田口へ(9)

B14052501

御師・外川家の先祖は、元亀三年(1572)宿が立てられた際に、

「古吉田」から移ってきた、草分けの一人だ。

その時のメンバーを「本御師」と呼ぶ。

彼らの屋敷は「龍道」を備え「富士道」の奥に構えられた。

その後「御師株」を手に入れ、御師を開業した者は、

「町御師」と呼ばれ、「富士道」に面して屋敷を構えた。

明確な「格」があったのである。

夫々の家には屋号があり、「受領名」を名乗って、代々襲名した。

外川家の場合、屋号は「塩屋」(しおや)

「受領名」は「能登守」(のと)だった。

最盛期の幕末から明治にかけて、宿の御師屋敷は、

八十軒を越えたと云う。

B14052502

外川家の門を入ったところに、小さな滝が設えてある。

宿内を流れる用水から、引き入れたもので、

宿泊した講中の人々が「水垢離」を行い、

屋敷の生活用水にも使われた。

三本の用水が残り、富士湧水群が水源のようだ。

流路も確認しているので、後ほど詳述する。

B14052503

さて、外川家を出て、宿内の探索を続けよう。

(捨身 Canon G1X)

|

« 富士吉田口へ(8) | トップページ | 富士吉田口へ(10) »

民俗」カテゴリの記事

コメント

軍師官兵衛が始まってから、御師の宿に人気が出てきたというニュースを見ました。
この富士吉田口でも営業?なさっているところがあるのでしょうか。

高野槙の続きですが、能によく出てくる「樒」
あれは忌の意味合いが強いですね。「高野聖」では聖の階級つけになっていたのを思い出しました。

投稿: 糸でんわ | 2014年5月26日 (月) 07時48分

二軒だけ、旅館業をされていますが、あとは廃業してしまったようです。武州御岳山とは対照的ですね。
軍師官兵衛は、中世末期の御師を初めて描きました。これだけは評価できますね。
高野槙、樒、楠、カヤなどの霊木とされる樹木は、常緑=常盤木で、独特の香気を持ちます。
これが魔を払う霊力のイメージに繋がっていったのでしょうか。

投稿: kansuke | 2014年5月26日 (月) 23時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 富士吉田口へ(8) | トップページ | 富士吉田口へ(10) »