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2014年6月 2日 (月)

富士吉田口へ(16)

B14060101

再び「富士道」戻り、連なる御師屋敷群を覗きながら、

北口本宮富士浅間社方向へ、歩を進めよう。

江戸後期から、明治にかけて、あれほどの隆盛を誇った、

御師宿だが、現在、御師を生業とする家は無く、

二軒ほどが、旅館業を営んでいるだけと聞いた。

外川家も、最後の御師が没した、昭和三十七年(1962)をもって、

廃業したのだった。

地元の多くの方が語るには、やはり、昭和三十九年(1964)の、

富士スバルラインの開通が画期だったと云うことだ。

謂い換えれば、それまでは、御師宿と一合目の浅間社を経て、

山頂へ向かう「富士道」は、生きて居り、

宿の機能も、維持されていたわけである。

その辺りが、宿の遺構がよく残っている理由ではないだろうか。

B14060102

宿南端の結界、「筋替」(すじかえ)のところまでやって来た。

「西念寺」と云う、時宗寺の入り口を示す、石柱が角に立つ。

左折して「筋替」へ入る。

B14060103

筆者、探索の習い、

時宗寺を見つけたら、はずしてはならぬことになっている。

山門が観えてきた。

B14060104

今までの経験に照らすと、

宿の出入り口(とりわけ、筋替上)に建つ寺は、

その宿にとって、極めて重要な存在であることが多い。

藤沢の遊行寺や、当麻宿の無量光寺を想起させる、

立派なの冠木門だ。

(捨身 Canon G1X)

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コメント

日曜に行ってきた教算坊がかつての宿坊でした。そこでお茶会があったのですが、建物といい庭といい素晴らしいものでした。芦峅寺はもっと早く、大戦後には途絶してしまったそうです。

投稿: tae | 2014年6月 1日 (日) 23時34分

なるほど、古写真の左側に写っていたのは水路ですね。道を横切っている幅の広い石組みは、各宿への引き込み水路?なんでしょうか。

それにしても、いにしえを忍ぶにもめくらめっぽうに歩いたらええというものではなくて、ツボを押さえていくんですね^^

taeさん、教算坊をググってみました。こんなところでお茶会なんて最高でしょうね。どんな「音」のおもてなしがあるんだろう、なんて考えてしまいました^^

投稿: 糸でんわ | 2014年6月 2日 (月) 11時20分

taeさま
立山信仰も興味深いです。
室堂最古の山小屋(これもかつての宿坊)に撮影行で泊まったことがあります。
教算坊も面白そうですね。

投稿: kansuke | 2014年6月 2日 (月) 23時13分

糸でんわさま
その様に考えていいと思います。
宿内は網の目のように用水が張り巡らされていました。
用水路は注意してみると、彼方此方にありますよ。意外な遺跡が身近に隠れているかもしれません。
用水は河川、水運へ繋がります。屡々忘れがちですが、これは前近代のハイウェイなのです。

投稿: kansuke | 2014年6月 2日 (月) 23時20分

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