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2014年6月 3日 (火)

富士吉田口へ(17)

B14060201

富士宮市の富士山本宮浅間社が所蔵している、

「富士参詣曼荼羅図」(室町後期)にずっと魅かれてきた。

昨年秋、静岡県美で、やっと観ること出来たわけだが、

画中、蟻の如く、列を為して登る、白装束の道者たちに混じって、

黒衣の時衆と思しき集団が居るのが、とても気になっていた。

今回の探索で、その答えの一端が得られたのかもしれない。

此処、西念寺は、「富士道場」を標榜し、

時宗の、富士信仰の拠点とも考えられるのだ。

永仁六年(1298)時宗二世・他阿真教は、信濃・甲斐を遊行、

東国を辿って、相模・当麻宿・無量光寺へ還る途上、

「古吉田宿」に立ち寄り、

一寺を、時宗道場に改めたのが始まりと伝える。

現在は、藤沢の遊行寺(清浄光寺)の末寺で、

時宗寺の定番、宗祖・一遍像と熊野権現の鎮守(下)も揃う。

B14060202

信濃・甲斐・相模を結ぶ、中世の幹線道路沿いの、

「古吉田宿」は殷賑を極めたと想われる。

時宗は、道中の主だった宿に、間断なく道場を配置した。

中でも西念寺は、富士信仰が第一次ブームを迎えた、

室町後期、時衆の富士登拝基地として、

重要度を増していったのではないだろうか。

B14060203

例の元亀三年(1572) 新宿を立てるに際して、当地へ移転、

その時、西念寺は、指導的な役割を果たしたようだ。

これについては、秘話があったらしく、次回に触れよう。

(捨身 Canon G1X)

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