« 富士吉田口へ(17) | トップページ | 富士吉田口へ(19) »

2014年6月 4日 (水)

富士吉田口へ(18)

B14060301

河口湖畔に、妙法寺と云う、日蓮宗の寺がある。

東国の戦国史研究では、外せない第一級史料、

「妙法寺記」(=勝山記)を伝えている。

その勝山記に拠れば、元亀三年(1572)宿移転以前の、

30年間に、凡そ四度の「雪代」(ゆきしろ)の被害を数え得る。

中でも、天文四年(1545)と、永禄二年(1559)には、

古吉田の宿は、ほぼ壊滅状態になったようだ。

宿の移転には、やはり、相当な紆余屈折があったと想う。

終に、最大の山場、関係者全員が参加する「大評定」に於て、

宿の移転と、新宿を立てる決定がなされたのだった。

一同の主だった人々が「一味神水」して、

「一揆契状」を認める光景が、目に浮かぶようだ。

衆議を纏め、この一大事業計画の指導的、象徴的な、

役割を果たしたのが、西念寺だった。

最終的には、西念寺の僧と、宿の頭立つ衆が、

領主の武田家へ(事の重大性から、直接の領主小山田家ではなく)

申し出て、しかも、ひょっとしたら、

信玄の前で、直裁を仰いだのではなかったか。

裁許は得られ、直ぐに事業は動き出したであろう。

何しろ、武田領を取り巻く状況は、風雲急を告げているのである。

もとより、西念寺は、宿の管理責任、諸役免除と、

関銭徴収権を安堵され、爾今変わり無しとされたはずだ。

まぁ、一編の小説か、映画になりそうな話ではあるな。

B14060302

「中宿」の道祖神。

宿を通る「富士道」の、ほぼ中間点に祀られている。

B14060303

西側の御師屋敷と「龍道」(たつみち)

B14060304

さて、北口本宮富士浅間社頭までやって来た。

足を踏み入れよう。

(捨身 Canon G1X)

|

« 富士吉田口へ(17) | トップページ | 富士吉田口へ(19) »

民俗」カテゴリの記事

コメント

宿移転の経緯を聞いていると、なんともドラマチックですね。ふと思ったのですが、大河ドラマに必要なのはこうした事実を掘り下げ、作品にしていくということが大事なんじゃないでしょうか。(私的には最近は某ドラマは見ていないのですが…)

投稿: tae | 2014年6月 3日 (火) 22時13分

「龍道」の上空にもくもくと湧き上がるのは、まさしく「龍」。自分勝手にすっごく納得しております^^

ところで、古吉田の宿が位置するところは、標高でれぐらいなのでしょうか。800ぐらいですか。こういう数値を歩いて感じることって大事ですね~

投稿: 糸でんわ | 2014年6月 4日 (水) 11時23分

taeさま
同感ですね。
まず、史実に迫り、真摯に向かい合うことです。それが耐え難いほど悲惨なものであってもです。
其処に「こうあって欲しい」は入り込む余地はないはずです。
某ドラマには、いくつか例外的な力作もあるのですが、駄作の山も築いて居ります。懐を痛める(半端でない制作費です!)視る側が物言う時も必要ですよ。

投稿: kansuke | 2014年6月 4日 (水) 21時49分

糸でんわさま
仰るとおり、標高は700から800ぐらいだと思います。寒さもそれなりで、この前の大雪では2mを越えたと聞きました。夏は快適でしょうが…
それと「たつみち」の云われはよく判りません。一寸気になりますね。

投稿: kansuke | 2014年6月 4日 (水) 22時00分

信仰篤い場所で、細く長い形に「龍」のイメージが重なっているのかもしれませんね。

投稿: 糸でんわ | 2014年6月 5日 (木) 05時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 富士吉田口へ(17) | トップページ | 富士吉田口へ(19) »