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2014年6月 8日 (日)

富士吉田口へ(21)

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随身門、神楽殿、拝殿は、享保十八年(1788)江戸小伝馬町の、

富士講指導者、村上光清が寄進したものだ。

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現存の社殿の殆どが、その時に整備された。

江戸後期の富士講ブームでは、

当地、富士吉田口が主な舞台になったが、

その背景には、彼の存在が大きかったわけだ。

御師たちも、北口浅間社に所属したと云うよりは、

独自に、京都の吉田家や白川家から、神職の裁許を得て、

活動していたようだ。

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神楽殿より、拝殿を観る。

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拝殿より、神楽殿、随身門を振り返ったところ。

世界遺産のお陰で、参拝者は増えたことだろう。

でも、一方で、一寸微妙な空気も感じられる。

富士の周りに、浅間社を名乗る社は多いが、

相互の由緒、地位、本末、呼称を巡って、主張がまちまちで、

それに、明治維新以来続く、神仏分離に因る断絶も加わる。

その重層を、一枚一枚、捲っては剥ぎ、

富士信仰の正体へ近づくのは、至難の業なのだ。

(捨身 Canon G1X)

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