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2014年6月10日 (火)

富士吉田口へ(23)

B14060901

信玄の「東宮本殿」建立前に、社殿が在った確証は無いと、

謂ったが、社伝では、延暦七年(788)に造営があったとする。

しかし、明治の神仏分離以降の、こういった由緒書きには、

各地の神社でも、そうだけれど、大分割引きが必要である。

やはり、本殿のような、大きな社殿は無かったと想う。

ただし、富士を遥拝出来る「勝地」であることには変わりなく、

ごくごく小さな祠、あるいは、石造物が在った可能性がある。

永禄四年(1561)川中島合戦を前にして、

信玄は当地を訪れ、戦勝を祈願して、勝利のあかつきには、

荒れ果てていた祠を、再建すると誓ったのではなかったか。

この社は、大きな神社の摂末社ぐらいの規模に過ぎないが、

春日大社内の摂末社と同程度か、それ以上だろう)

もともとが祠だったのだから、立派な寄進とみるべきだ。

B14060902

既述の如く、永禄四年(1561)九月十日の川中島合戦は、

激戦で、武田方の勝利とは云い難かった。

よく謂って引き分け、厳しく云えば「敗北」かもしれい。

でも、信玄は、家臣領民の手前、

強気の「勝利宣言」をせねばならず、領内各地の寺社で、

目に見える形で「パーフォーマンス」が必要だったのだ。

B14060903

優美で、流れるような桧皮葺屋根、細工の見事さ、

当時としては、最新の構造形式を取り入れている。

B14060904

「東宮本宮」が、意外にこぢんまりとしているのは、

別して、大きな理由もあった。

此処、北口本宮富士浅間社の、本来の祭神のことである。

(捨身 Canon G1X)

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