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2014年6月12日 (木)

富士吉田口へ(25)

B14061101

拝殿前に戻る。

左手の大杉は「太郎杉」と呼ぶ。

右手に観える小社の方へ向かおう。

「諏訪の杜」の謂われのもとになった諏訪社(下)である。

B14061004

実は、信玄の「東宮本殿」建立以前の、

北口本宮富士浅間社に関わる記録は、はっきりせず、

信頼が置けるのは、この諏訪社のものだけなのだ。

信玄が訪れ、まず、参拝したのは諏訪社であったろう。

既に、それなりの本殿が建っていたと想う。

「孫子の旗」と並ぶ、信玄の軍旗、「諏訪明神旗」や、

愛用の「諏訪法性兜」(すわほっしょうのかぶと)でも、

知られるように、彼の諏訪信仰は半端なものではなかった。

あくまでも、諏訪明神に対する、立派な摂社として、

富士信仰の「東宮本殿」を寄進したわけである。

でも、後半生に入り、信濃攻略が一段落すると、

海への出る湊を得ることが、焦眉の急となった。

越後は謙信に阻まれた。相模の北条は相変わらず手強い。

幸い、桶狭間のせいで、駿河の今川が著しく弱体化した。

駿河の海なら、手に届きそうだ。

まさに当地は、甲斐より駿河への出口、

しかも、国境を自由に往来出来る、御師たちが居る。

この際、彼らを抱き込むに如かずだったはずだ。

B14061102

(捨身 Canon G1X)

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