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2014年6月14日 (土)

富士吉田口へ(27)

B14061301

「吉田口」の入り口から、境内を振り返って観る。

右側は「西宮本殿」だ。

B14061302

「諏訪の杜」の巨樹は、樹齢四百年から六百年といったところか。

どうも、もっと昔(平安初期の貞観の大噴火に因るか?)は、

この辺りは、火山灰や溶岩に覆われた荒地だったらしい。

古代以来の、富士祭祀の場が在ったことは、想像に難くない。

中世に入って(鎌倉後期か?)まず、諏訪社が建てられ、

社叢林が造られたのか。

もとより、人の手になる杜である。

「北口本宮富士浅間社」と称するのは、あくまでも、現代の話で、

中世末の戦国期では、「諏訪浅間社」と呼んだほうが、

通りがよかったはずだ。

B14061303

御師宿への道を戻りながら、

再び、元亀三年(1572)の宿移転のことに想いを廻らしてみる。

「大評定」を取り仕切ったのは「二十人衆」と云われた、

「長」(おとな)たちだった。この中には、御師衆だけでなく、

職人、商人、芸能者たちも入っていたであろう。

あるいは、同時代の自治的な都市、

堺の「会合衆」(えごうしゅう)をイメージして、いいかもしれない。

「勝山記」にも、古吉田の宿は、

「千軒の在所」と記されるほどだった。

しかし、この時期、どういうわけか、富士登拝の道者の往来が、

激減して、大問題になっていた。

かねがね、関銭が高いので、旅人たちの間で、

頗る評判が悪かったのである。

(捨身 Canon G1X)

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