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2014年6月16日 (月)

富士吉田口へ(28)

B14061401

元亀三年(1572)の宿移転と前後して、

富士道者の往来が激減した。理由はよく判らない。

かねてより、関銭が高いことに不満はあったようだ。

また、駿相武に接する国境の常で、隣国との関係が悪化すると、

街道の通行を遮断する「道止め」(道留め)が頻発したのも確かだ。

御師衆を直接支配していた、領主の小山田氏は、

窮余の一策で、関銭の半額免除「半関」(はんぜき)を申し付ける。

B14061402

「半関」には、関銭の他に、富士道者たちから徴収する「役銭」も、

含まれていた。昨今で云う「入山料」にあたるものだろう。

道者が御師や浅間社に捧げる「初穂」(賽銭)は別会計である。

もとより、ちゃんと「関銭」や「役銭」を納める道者、旅人に対し、

領内通行の安全を保証し、余分な銭を巻き上げることを禁止した。

このような措置は、効果を上げたのであろうか。

この時に定めた金額が、先例となり、爾来守られていく。

因みに、改正前の「役銭」は道者一人につき二百二十二文、

それが、百二十二文になったと云う。

今のいくらになるか難しいが、決して安いわけではなかったのだ。

B14061403

中世世界の富士吉田の風景は、現在と全く異なり、

青々とした水田や畑は無く、度重なる「雪代」もあって、

荒地が広がっていた。米、大豆、小豆、麦などの食料は、

銭で買うしかない。富士道者、旅人が落とす「銭」が、

収入の全てだった。

実に、都市的な場と呼ぶに相応しい、

もっぱら貨幣経済に支えられた地域だったのである。

さて、この辺で、今回の探索を一先ず終える。

暫時休息を頂き、次回に備えるとしよう。ご容赦を…

(捨身 Canon GX1) 

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コメント

Kansuke様、富士吉田口の成り立ちと変遷推移興味深く拝見しました。自然地形だけでなく、周辺の勢力や宗教者によって成り立った計画都市であったのですね。また写真にもあるように道祖神祭礼が盛んであったようですね。このシリーズで中世世界を垣間見ることができました。ありがとうございました。

投稿: tae | 2014年6月16日 (月) 00時28分

かんすけさんの一歩、一歩がいつもながらに重厚で堪能致しました。富士山が世界遺産に登録されてから、ますます人気が高まるのはいいものの、遊園地へ出かけるような気分の観光客も多いようですね。それで、弾丸登山や冬季登山を禁止するような動きも出てきていると聞きました。
たまに新幹線の車窓からしか富士山を眺めることのない私がえらそうなことは言えませんが、今回の探索紀行?を拝読していると、富士山を遠くに拝むことだけでもありがたいと敬った先人たちの心を、忘れないでいたいと思いました。

おつかれさまでした(^_^)/

投稿: 糸でんわ | 2014年6月16日 (月) 08時05分

taeさま
暫しお付合い頂き有難うございました。
道祖神はいくつも見かけましたが、甲府盆地のものとは一寸違いがあるようですね。でも、ちゃんとお祀りされていますよ。二枚目の写真の道祖神は、鎌倉道沿いで遇いました。

投稿: kansuke | 2014年6月16日 (月) 20時14分

糸でんわさま
お付合い頂き有難うございます。
歴史上、戦国期と江戸後期の、二度の大きな富士山ブームがあったわけですが、今回の世界遺産で三度目になるかどうか…つい最近も、新たに設定した「入山料」のことで、静岡県と山梨県がもめたとそうですね。戦国時代と同じ事を繰り返しているようで、可笑しかったですよ。富士の麓に暮らした、昔の人々の知恵を、もう一度振り返ってみるべきだと想いました。

投稿: kansuke | 2014年6月16日 (月) 20時26分

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